♪「最後のニュース」/井上陽水
昭和から平成へ…ベルリンの壁が崩壊し、天安門事件やリクルート事件に関するニュースが連日報道されていた1989年の夏にこの「最後のニュース」は作られた。
作詞作曲を手掛けた井上陽水は当時41歳で、デビューから満20年という節目の年を迎えていた。
彼にとって通算31枚目のシングルとなったこの歌は、1989年10月に放送を開始したJNN(TBSテレビ)の報道番組『筑紫哲也NEWS23』の初代エンディングテーマとして書き下ろされたものだった。
メインキャスターの筑紫哲也と陽水の深い親交によってこの楽曲が誕生したと言われている。
筑紫は依頼の際、陽水にこう伝えた。
「僕がこの番組をやるのは陽水の責任だから、君が曲を書く義務がある。」
楽曲誕生のストーリーは15年前から始まっていた。
1974年の秋、朝日新聞社の特派員として足かけ4年間のワシントン生活を終えて帰国したばかりだった筑紫は、故国から離れていた“空白”を取り戻すことに必死だった。
その前にも1年足らずの在京を挟んで、当時まだ米軍統治下だった沖縄に3年間(1966年〜1970年)住んでいたため、筑紫は都市部を中心に起こっていた70年安保や全共闘運動などに対して実感が乏しかったという。
そんな帰国後の日々を送っていた筑紫が、ある日、銀座のシャンソンバーに飲みに行った時に、中年男の歌手が唄う姿を目にする。
「明らかにシャンソンではなく、奇妙なことに一度聴いただけで心に染入ってくるような感覚でした。」
それは筑紫が初めて陽水の存在を知った瞬間だった。
自身の代表曲「傘がない」を唄っていた陽水に対して、筑紫は強く惹かれたという。
「あの曲は“足払いの歌”なんです。天下国家を鹿爪らしくいう世の風潮に対する足払いなんです。」
筑紫は後に、その言葉の意味を著書にこう綴っている。
「天下国家に降りかかる様々な問題をもっともらしく論ずる風潮に向かって、同じ“天下”でも陽水の歌は、天から下りてくる雨の方が問題なのだと“足払い”をかけているんです。僕はそんな表現法にとても共感を覚え、感心しました。」
こんな出会いから二人は親交を深めていったという。
そして1988年のある日、井上陽水夫妻は『十年遅れの結婚披露宴』という奇妙な催しを開いた。
結婚した時は色々な事情があって披露宴をやってなかったから…という理由だったが、陽水らしいジョークも籠められた集まりだったので、ごく内輪による楽しい宴だったという。
その夜“内輪”として呼ばれていた筑紫に対して、酔った陽水がこんなリクエストを口にする。
「また、そろそろああいう番組があってもいいよね。」
“ああいう”とは筑紫が1978年の4月から1982年の9月までメインキャスターを務めたテレビ番組『日曜夕刊!こちらデスク』のことである。
番組の最終回では、陽水の歌が特集され「傘がない」が効果的に使用され大きな反響を呼んだという。
筑紫はその夜に陽水が口にした言葉(リクエスト)を憶えていた。
翌年、新しいニュース番組を立ち上げようとしていた筑紫の頭には、一つだけはっきりとした“決定事項”があった。
「番組のエンディングテーマは井上陽水に依頼する。」
筑紫は当時のことをこんな風に語っている。
「番組の頭も胴体もどういう作りにするか未だ星雲状態だった。店開きのための特別なお化粧はいらないと言っていた私でしたが、エンディングに特色のある音楽を流すということだけは当初からこだわっていました。」
夏からスタートする新番組に向けて、急ピッチで準備が進められる中、筑紫は帝国ホテルの二階のバーで陽水と待ち合わせをした。
相手は一筋縄ではいかない男である。
もともと仕事をすることが好きではないし、ましてや他人に指示されることが嫌い。
人が右と言えば左に行きたがる性格…そういうことのすべてを長い付き合いを通じて熟知していた筑紫であったが、今回ばかしは真っ向勝負に出るしかなかった。
静かなバーの席に陽水が現れ、二人は軽く握手を交わす。
筑紫は前置きもなくこう切り出した。
「そっちがあんなことを言ったから、また久しぶりに番組をやる気になったんだ。それで…どんな曲にしようか?」
“お願い”をすべて省略して、いきなり曲の相談を持ちかけられたことを、後に陽水はボヤいていたという。
数週間後、筑紫のもとに曲が届けられた。
「1989年、平成元年の夏に作られたこの曲は、世紀末に近づけば近づくほど、ぞっとするような現実味を持って聴く者に迫るようになった。」
だいぶ後になってから…筑紫の自宅に陽水から直筆のファックスが届いたという。
「いい曲を作った、と色々な人から言われます。そういう機会を作ってくれたことに感謝しています。当時は色々とボヤいて申し訳なし。」
<引用元・参考文献『うたの旅人 Ⅱ』朝日新聞be編集グループ(朝日新聞出版)>
<引用元・参考文献『ニュースキャスター』筑紫哲也(集英社新書)>
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