1970年の夏。日本のミュージシャンたちとともに、『ヤング・ジャパン国際親善旅行』に参加し、カナダの教会でミカと挙式した加藤和彦は、帰国すると2枚目のソロ・アルバムの制作に取り掛かった。
そして、1971年10月5日にセカンド・アルバム『スーパー・ガス』を発表する。その1曲目、トップに収められたのが「家をつくるなら」だった。
この歌は、ナショナル住宅建材(現パナホーム)のテレビ・コマーシャルに長く使われたため、CMソングとして知られているが、CMのために書いた曲ではないという。
この曲は元からあったわけ。小市民ソングとして、松山と作った。「おう、小市民ソング作ろう」って。これは松山が大きいなあ。詞の世界が。(「エゴ ~ 加藤和彦、加藤和彦を語る」より)
作詞を手がけた松山猛は、大学生だった加藤とコンサートサークルで知り合って以来、夜な夜な2人で曲を作っていたというソングライティングのパートナー。「帰ってきたヨッパライ」「イムジン河」などフォーク・クルセダーズ、そして加藤和彦の作詞を手がけている。
そんな2人が、小市民ソングを作るにあたってテーマにしたのが「家」だった。
1960年代から70年代にかけた高度経済成長期の中で、少しずつ裕福になりつつあった“小市民”にとって、カラーテレビとカー(自動車)、クーラーの3Kが新たな3種の神器と見なされていた。そしてそれらを手に入れた後の次なる夢が家、すなわちマイホームだった。
そんな小市民の夢である家はしかし、狭い土地にたくさんの人間が済む日本、とくに都会ではなかなか手に入るものではなかった。経済力があっても、家を建てる夢には遠かった人が注目したのは、立地条件のいい場所に建てられるマンションだった。
第一次マンションブームは、1964年に開かれる東京オリンピックが景気を刺激したことで、1962年にマンションの基本法が制定されてから始まった。
1970年には、住宅金融公庫の制度がスタートしてマンションが大衆化。日本全国で分譲マンションが建てられていった。
そして都心の一等地に、日本が世界に誇れる最高級のマンションをという考え方から、1971年4月には日本で初めて超高層マンションが東京に誕生する。
かつては壮大な夢を描くことの出来たマイホームは、時代の流れとともにマンションへと移り変わった。しかし、そのマンションが、欠陥工事をデータ偽装によって隠蔽していたことが明らかとなったことは記憶に新しい。
次々と新たなデータ偽装が発覚しているが、偽装は業界全体に蔓延していて、発覚したのは氷山の一角に過ぎないという声もある。
建築業界全体への不振が募る中、“小市民”の夢はどこに託せばいいのだろうか。
歌の最後で、夢は家から“お嫁さん”、つまりは人へと変わる。一番大事なのは、家ではなく人、ということなのだろう。
格差社会が問題となり、マンションを買うことですら“小市民”にとって遠い夢となった今日、“小市民”は家でなく、人生を共に歩んでくれる人との生活に、夢を見る。
*このコラムは2015年11月に公開されました。
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