ピアニストでリーダーのトーマス・M・ローダーデールが1994年にアメリカのポートランドで結成したピンク・マティーニは、最初は5人のメンバーから始まったが、1997年から女性ヴォーカリストのチャイナフォーブスが加入して12人編成の大所帯となった。
そして1stアルバムの『サンパティーク』がフランスでヒットを記録してヨーロッパで知られるようになり、それから20年でメンバー13人、レギュラー・アーティストも含めると15~16人で大規模なワールドツアーを行うまでになった。
どこかで聴いたことがある懐かしのポップスを中心に、ジャズやクラシックなどのジャンルを超えて、世界中のあらゆる音楽を取り込んで、独自のスタイルを進化させてきた。
日本で1960年代後半に流行した歌謡曲の魅力に焦点をしぼった由紀さおりとのコラボレーション・アルバム、『1969』(2011年)を成功させたことでも知られている。
そんな彼らが2年ぶりに発表した9枚目のアルバム『ジュ・ディ・ウイ! ~ピンク・マティーニの素晴らしき世界』」には、フランス語、英語、ペルシャ語、アルメニア語、ポルトガル語、トルコ語、そして南アフリカのコサ語まで収められている。
まさにノーボーダーである。
そして日本盤にはボーナストラックで日本語で歌った「黒ネコのタンゴ」が収録されている。
ピンク・マティーニの日本語によるカヴァーの歴史は、1stアルバムの『サンパティーク』から始まっていた。
丸山明宏(現・美輪明宏)が1968年に発表した「黒蜥蜴の唄」が、記念すべき日本語の第1作となった。
〈参照コラム*追悼・冨田勲~海外で発見された美輪明宏のカルトムービー『黒蜥蜴』〉
トーマスの判断でアメリカ人のシンガーによって日本語のまま歌われた「Song of the Black Lizard」は、直訳のタイトルが付けられて世界中に広まっていった。
続いて2ndアルバム『ハング・オン・リトル・トマト』 でも、和田弘とマヒナ・スターズの「菊千代と申します」が取りあげられた。
そして3rdアルバムに収録されて大きな反響を巻き起こすことになったのが、由紀さおりが歌った「タ・ヤ・タン」だった。
さらには4枚目の『Joy to the World』でも山下達郎の日本語詞の「White Christmas」が、ゲスト・ヴォーカルの由紀さおりによって収録された。
2013年の『Get Happy』 では「ズンドコ節 」、2014年の『Dream a Little Dream』では「黒猫のタンゴ」と、彼らのアルバムには必ずといっていいほど日本語の歌が入っていた。
リーダーのトーマスはこう断言する。
何かを作り出すという、人間の心を高揚させ、希望を生み出す行為が、現在ではカルチャー全体において軽んじられている。だから上っ面だけのくだらないポップ・ミュージックばかりが量産されてしまい、心を打つような深みのある作品が出てこない。
ぼくは、自分が聞きたい音楽を作るんだ。
ピンク・マティーニのアルバムにはいつも、愛おしく見えるもの、ハッピネスが込められている。