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初来日したカーペンターズが「第1回世界歌謡祭」で味わった屈辱

2018.01.12

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1970年11月20日から日本武道館で開催された第1回東京国際歌謡音楽祭(翌年に世界歌謡祭に改称)は、日本で初めて行なわれた国際的なポピュラー音楽祭である。
世界の38か国から選ばれた44アーティストが参加して、その日のために作られたオリジナル曲を披露するという試みだった。

司会は坂本九と作家の藤本義一、監修役の音楽プロデューサーとして名を連ねたのは石丸寛、いずみたく、中村八大、服部克久の4人。
この音楽祭の意義について、服部は事前の取材で「日本のポピュラー曲を世界という鏡にうつして、その位置を知る貴重な機会」だと語っていた。

大きな円形舞台の中央には原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、宮間利之とニューハードが揃っている。
日本を代表するビッグバンドとオーケストラを作曲者が指揮し、歌手が歌って2日間の予選を行なった。
その合格者によって最終日に本選が行われて、最優秀作にグランプリが与えられるという仕組みだった。

審査員のなかに音楽の専門家をがいないのは、このイベントを企画したヤマハ音楽振興会の会長だった川上源一の発案である。
海外参加国の各大使館から推薦された17人、日本の協賛企業各社推薦による27人、合わせて44人の審査員はいずれもアマチュアの音楽愛好家だった。

普段からプロの音楽家の多くがコマーシャリズムに染まりすぎて感じていた川上は、音楽業界内のヒエラルキーなどに関係なく、アマチュアの審査員が素直に自分の感性で判断することによって、ほんとうにいい楽曲が発見されることを望んでいた。

11月20日(金)予選 16:00開場18:00開演21:00終演
11月21日(土)予選 16:00開場18:00開演21:00終演
11月22日(日)本選 11:00開場13:00開演17:00終演

初日のコンテストで花をそえたゲストは伊東ゆかり、ピンキーとキラーズ、アメリカから迎えたThe Original Cast(オリジナル・キャスト)、そしてCarpenters(カーペンターズ)の4組だった。

初来日のカーペンターズは7月22日に「遙かなる影(Close to you)」が全米チャートで1位になったばかりで、続く「愛のプレリュード(We’ve Only Just Begun)」もヒットし、アメリカではもっとも旬で有望な若手アーティストだ。
ただし、日本ではまだほとんど名も知られていない状態だったので、来日したのはリチャードとカレンのほかにはバンドのメンバーとマネージャーだけで、いつも一緒に仕事をしているステージ・クルーは同行していなかった。



20日は大型イベントの第1回目で初日ということもあって、大幅な遅れのなかで開演した。
終演予定は21:00だったが、カーペンターズに舞台が用意されたのは10時をまわっていた。

ステージ上ではメンバー自らが、セッティングするという状態だった。
キングレコードの担当ディレクター、寒梅賢氏がこう回想している。

ステージングをみていた私のところに、「カレンが呼んでいる」との声がかかり、飛んで行ったところ、ドラムスのセッティングを手伝って欲しいとの頼みでした。二人で金づちを持ち、創り上げました。楽しかった。


だが、楽しいのはそこまでで、それからは悪夢のような体験になったという。
8000人ほどいた観客は世界歌謡祭を見に来た一般客と、協賛企業に関わりのある人たちだったが、カーペンターズの名前を知っている人がほとんどいなかった。
寒梅氏の言葉を続ける。

確かではありませんが、カーペンターズの音が出たのは夜10時半過ぎ。恐ろしい光景が始まりました。今では考えられませんが、カーペンターズの演奏が始まった途端、お客が帰り始めたのです。帰りの電車のこともあったのでしょう。私はその時、ステージ横にいたのですが、ステージからは武道館の階段を出口に向かって歩くお客の後ろ姿しか見えません。長く音楽業界に生きてきて、一生一に回の経験でした。


しかしそうした屈辱を味ったにもかかわらず、カーペンターズのライブは見事なものだったという。
彼らは自分たちが日本に来た真の目的を忘れずに、最悪ともいえる状況の中で、全力を尽くしたのである。

ほとんど帰ってしまったお客の他に音楽業界のオピニオン・リーダーたちがいました。音楽評論家、ラジオ・ディレクター、TVディレクター、日本のミュージシャン、作曲家、アレンジャーの先生方です。皆の想いは一つ。レコードであの完璧ナサウンドがライブで実現できるかどうか、でした。リチャードは素晴らしかった。あの音がしっかり出ました。


寒梅氏はその日の体験で、「日本でナンバー1にして見せる。一人も帰らない武道館コンサートをやって見せる」と固く決心したと述べている。

ところで3日間にわたって行われた「世界歌謡祭」の最終日に、予想しなかった番狂わせが起こった。
観客から圧倒的な拍手を浴びて本命視されていた雪村いづみの「涙」が、準グランプリの最優秀歌唱賞に終わったのだ。

アマチュアの審査員によってグランプリに選ばれたのは、イスラエル代表のヘドバ&ダビデという無名のデュオがヘブライ語で歌った「ANI HOLEM AL NAOMI(I Dream of Naomi)」だった。

翌日の東京中日スポーツ新聞には、こんな記事が掲載された。

「まさに絶唱いづみ」
全般には多くの問題点を残す

イスラエルから参加した「ナオミの夢」がグランプリを獲得したことは、いささか意外の感をまぬがれなかった。
「ナオミの夢」は、たしかに明るい感じのテンポのある曲だが、ほかにはこれという取りえがない。アマチュアばかりで構成された審査員団のひとつの限界が、このグランプリ曲になってあらわれたといえるだろう。

歌唱賞のグランプリをとった雪村いづみの「涙」(中村八大曲)は、場内の感動をさそったベストワン。ヨーロッパの映画音楽を思わせる美しいメロディーと巧みな伴奏アレンジが伴って、武道館という大きな会場を考慮にいれた中村の計算も、みごと成功。雪村いづみも絶唱というにふさわしく、私個人としては、この曲に作曲のグランプリも贈呈したい。
(牛窪成弘)


コンテスト終了後に東京で日本語の詞を加えてレコーディングが行われた「ナオミの夢」は、翌年の1月25日に発売されたが、オリコンのチャートで1位を記録する大ヒットになった。

日本の音楽ファンがカーペンターズの魅力に気づくのは、それから2年後のことになる。




<参考コラム>
寒梅賢氏の発言は、以下のコラムによるものです。
初来日したカーペンターズの武道館での“明”と“暗” 【大人のMusic Calendar】

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