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独裁者の頭上に降った「レッツ・ダンス」

2016.01.31

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カダフィ、ベンアリ、ムバラク、そしてヤヌコビッチ……。ここ数年のうち、テレビで顔の知られた独裁者たちが民衆の前から次々と姿を消していった。

幕引きは様々だったが、23年前の南米には劇的な結末を迎えた独裁者がいた。
彼の名は、マヌエル・ノリエガ将軍(1934~)。1983年からパナマの最高司令官として君臨してきた人物だ。

パナマと言えば、運河。流通や金融で栄えた中堅どころの国家である。
1959年、「アメリカの裏庭」と呼びならわされてきた南米の一角、キューバにカス トロ率いる共産政権が生まれたことで、アメリカに動揺が走る。そして南米政策は、反共一色に染め上げられることになった。親米でありさえすれば、どんな人物でもおかまいなし。多少のワルでも大目にみよう、その典型がノリエガだった。

「Bull in the China Shop」というイディオムがある。「瀬戸物屋に雄牛」。つまり、引っ掻き回してメチャクチャにしてしまうこと。アメリカの政治介入の粗暴さを揶揄する決まり文句としてよく使われた言葉だ。
ノリエガ将軍は、隣国コロンビアの麻薬組織と結びつき、パナマからアメリカへコカインなどを密輸するルートを私物化することまでしていた。さらに1989年、ノリエガは大統領選挙に出馬し、落選が確実となると、国防軍をあげて選挙の無効を宣言する。

ここにいたって、アメリカ(ブッシュ大統領・父)の動きは意表をつくものだった。同年12月末、5万7千もの兵をパナマにいきなり侵攻させ、国家防衛軍を撃破。首都パナマを陥落させてしまう。戦争理由を問われて、米国は「アメリカの自衛権」と答えていた。

1990年、1月3日。側近の兵も散りじり。わずかな部下を引き連れ、ノリエガが逃げ込んだ先は、パナマ市内にある「バチカン大使館」。カトリックの総本山なら聖域と思ったのだろう。
降服をうながすように大使館の屋上すれすれに低空旋回を繰り返す米軍アパッチ戦闘ヘリコプター。次の一瞬、誰もが耳を疑ったのは、ヘリのスピーカーから、 まるでいきなり落ちてきた大音響のロック・ミュージックだった。この曲がデヴィット・ボウイの「Let’s Dance」であったことは、アメリカのネットワークで放映されたことによって世界に広く知られることになった。

さあ、踊ろうよ
真っ赤なシューズで
君をこの腕に抱けるなら
花のようにおののく君を

独裁者の後ろ盾に、CIA、つまりアメリカ。こんな構図がありふれた時代。金と甘い夢を吹き込まれ、躍らされ、そして捨てられた独裁者がこの世に何人いたことか?


(このコラムは2014年2月28日に公開されたものです)

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