多くのミュージシャンに影響を与えてきた〈マン・イン・ブラック〉ジョニー・キャッシュ。彼が遺してきた(星の数ほどある)楽曲群の中から、TAP the POPが厳選した15曲を紹介。冒頭の動画リンクから、ソングリストを流し聴きすることができます。各曲ごとにつけた簡単な解説を読みながら、孤高の歌世界の片鱗に触れてみてください。
No.01「Redemption Song」
かつてボブ・ディランがそうだったように、ジョニー・キャッシュの前では“パンクのカリスマ”と言われたジョー・ストラマーも、無邪気な子供のようだった。プロデューサー、リック・ルービンの勧めでレコーディングセッションをする事になった二人は、ボブ・マーレィの名曲「Redemption Song」(救いの歌)を選んだ。2002年、奇しくも他界直前に“二人のカリスマ”が共に歌った運命的な一曲をご紹介します。(佐々木モトアキ)
No.02「Ring of Fire」
今シーズン、24年ぶりのリーグ優勝を目前にしながら、土壇場で惜しくも逃したイングランドの名門サッカークラブ、リバプールFC。そのリバプールが2006年にFAカップを制した時、ホームスタジアムであるアンフィールドにはジョニー・キャッシュの「Ring of Fire」が流れました。(スタッフI)No.03「Heart Of Gold」
ニール・ヤングの『Hervest』に収録されている「Heart Of Gold(孤独の旅路)」。“黄金のように美しい心”を探し求めるこの歌を、70歳目前のキャッシュが歌うとどのように響くのでしょうか?
レッチリのジョン・フルシアンテが弾くギターも聴きどころの一つです。(佐藤輝)
No.04「Sunday Morning Coming Down」
無名時代のクリス・クリストファーソンが必死に売り込んだ曲が、遂に全米ネットの『ジョニー・キャッシュ・ショー』で歌われることになった。しかし、歌詞に“stoned”というドラッグを連想させる部分があるとして、テレビで歌うことを局側に問題視されてしまう。ソングライターにとっては屈辱的とも言える代案の歌詞が用意された。クリストファーソンは収録場所であるライマン公会堂の二階席から、心配そうにキャッシュのいるステージを見守る羽目になった。
「ジョニーは僕を見上げながら、元通りの歌詞を歌ったんだ。彼はこの歌を救った。変えていたら違う歌になっていた。彼は恩人だよ」
この曲「Sunday Morning Coming Down」は、キャッシュのバージョンでカントリーチャートの1位を記録し、CMA(カントリーミュージック協会)の最優秀歌曲賞を受賞した。クリストファーソンがカントリー界のサクセスストーリーを掴んだのは言うまでもない。(中野充浩)
No.05「Father And Son」
今から約45年前、ロンドン出身のシンガー・ソングライター(教育家、慈善活動家、イスラム教への改宗者としても知られている)キャット・スティーヴンスが紡いだ「Father and Son」という名曲をご紹介します。この、ある意味“普遍的”な父と息子の対話が、年齢・性別・時代を超えて…今、皆さんにはどんな風に響くでしょうか?
こちらはリック・ルービンのプロデュースで、ジョニー・キャッシュが晩年に歌ったバージョンです。(佐々木モトアキ)
<歌詞はコチラ TAP the NEWS>
http://www.tapthepop.net/news/9516
No.06「Were you There」
もともとゴスペルソングであり、「キリストが十字架に磔にされたとき、あなたはそこにいたのか?」と繰り返し問うこの曲は、キリスト教の信仰をもたなくとも、世の中の様々なニュースに憤慨しつつ、忙しさ故に見過ごしてしまう私たちに「大切なことはなにか?」と問いかけているように思えます。(スタッフH)No.07「Five Feet High And Rising」
この曲名を見てピンと来た方もいるはず。そう、ヒップホップ・グループ、デ・ラ・ソウルのデビュー・アルバム『3 Feet High And Rising』というタイトルの元ネタで、収録曲「The Magic Number」ではサンプリングもされています。「Five Feet High And Rising」は、アメリカ南部の悩みの種である洪水をテーマにした1曲。子どもがお父さんとお母さんに「川の水かさはどれぐらいまであがってきた?」に繰り返し訊くごとに、2フィート、3フィート、4フィートと水かさが上がっていきます。水位が上がるにつれ、曲のキーも高くなっていくというユニークな構成も聴きどころです。(宮内)
No.08「Desperado」
「Desperado”(ならず者)」はイーグルスのオリジナルはいうまでもありませんが、オリジナルに先んじて発表されたリンダ・ロンシュタットのヴァージョンも素晴らしく、一九七三年から世界中で多くの人に愛聴されてきました。そんなスタンダード・ソングを七〇歳になってからカヴァーしたのが、ジョニー・キャッシュでした。人生の黄昏時を迎えたアウトローが、後輩たちに自分の生きた道の何たるかを、静かに訴えかけるような説得力に満ちています。とくに作者のドン・ヘンリーが後半に、ハーモニーで一緒に歌っているパートは聴きどころです。(佐藤剛)
No.09「A Boy Named Sue」
「A Boy Named Sue(スーという名の少年)」のブレイクは、1969年2月。ジョニー・キャシュが、「サン・クエンティン刑務所ライブ」で歌ったことから。ビルボード・チャートを駆け上り、またたくまに2位を取る。最後まで1位を譲らなかったのは、「ホンキートンク・ウィメン」だったというから勢いのほどがわかる。物語風のバラッドは、三歳のとき家を出ていった父親に、「スー」という女の子の名前をつけられた男の子のお話。いじめやからかいにあい、喧嘩をくりかえすうち、いっぱしの乱暴者になり、酒場をねり歩くうち、とうとう見つけた父と対決する、というハード・ボイルドな展開。
白髪まじりになっても、父は意外に手ごわく、ふたりとも殴り合いで血まみれ。「息子よ、この世は甘くない。男がなにかやりとげるんなら、タフにならないとな。でもお前を強くしたのは、俺がつけたその名前なんだぜ」とうそぶく父に、「おやじよ、俺は子供を持ってもスーなんて名は絶対つけねえ」と言い返して、息子は去ってゆくという顛末。これが、ジョニー・キャッシュの渋いバリトンにのって、胸にしみてくるという名作だ。
こんなワイルドな詩を描くのは並みの作詞家ではあるまいと、たしかめてみたら、この曲の歌詞を書いたシェル・シルヴァスタインとは、日本でも村上春樹氏の翻訳で刊行されているロングセラー「おおきな木」の原作者と同一人物だった。風刺漫画家、フォーク・シンガーでもあり、キャッシュとも友達で、アメリカのカルチャー・シーンで知らぬ人はないといわれるほど多才な人物だったのだ。(長澤)
No.10「I Still Miss Someone」
ジョニー・キャッシュの「新作」がビルボードのカントリーチャートのナンバーワンに輝き、総合チャートでもトップ10入りを果たしたのは記憶に新しいが、80年代の埋もれていた音源をリミックスしたのが、エルビス・コステロだった。コステロはジョニーの愛娘ロザンヌ・キャッシュとも『ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー』をデュエットしているが、「南部のこの土地に来たら、この曲だね」と言って、エミルー・ハリスをステージに上げ、歌ったのがジョニー・キャッシュ初期のヒット曲『アイ・スティル・ミス・サムワン』だった。
窓辺に葉が落ちる
寒い冬がやってくる
仲睦まじく歩く恋人たち
そして俺は今でもある人を想ってる
1966年に製作されたボブ・ディランのドキュメンタリーフィルム『イート・ザ・ドキュメント』では、ジョニー・キャッシュとディランがこの曲をデュエットする様子が収められている。(石浦)
No.11「The Long Black Veil」
タウンホールの前で起きた殺人事件。無実の主人公に疑いがかかる。だが、友人の妻と一緒に時を過ごしていたため、彼はアリバイを口にすることなく、死刑の道を選ぶ。
そして彼が眠る墓には、黒いヴェイルを被った女性が涙を流しにやってくる。
1959年、レフティ・フリッツェルが歌ったこの歌は、ジョニー・キャッシュだけでなく、ザ・バンド、ブルース・スプリングスティーン、デイヴ・マシューズ、チーフタンズ、ブルース・ホーンズビーなどがカバーしている。
下敷きになったのは、ルドルフ・ヴァレンチノの伝説だ。31歳の若さでこの世を去ったサイレント時代の伝説の男優、ヴァレンチノの墓には黒い服を着た美女が花を捧げる姿が目撃されていたという話だ。
絞首台は高く、永久の眠りはすぐそこだ
群集の中に立つ彼女は涙ひとつ流さなかった
だが夜遅く、冷たい風が嘆くように唸ると
長く黒いヴェイルをした彼女は、俺の墓の上で泣くのだ
(石浦)
No.12「Flesh and Blood」
ロマンティックで一途な愛を語る青年。だが、その彼は同時に抑えきれない熱情を抱えている。
ジョニー・キャッシュはその熱情をこう表現した。
「その肉体と血潮。僕に必要なのは君なんだ」
珍しくロマンティックなジョニーの一面をどうぞ。
山のせせらぎは歌い
そのそばでは柳の木
楓の葉は朝露を浴び
銀色に輝く
僕は柳の小枝を編み
西洋トチノミを通す
だがその肉体と血潮
その肉体と血潮
僕に必要なのは君なんだ
(石浦)
No.13「Redemption Day」
「ソングライターとして、ジョニー・キャッシュに歌ってもらえるということは、最高の業績だわ」ジョニー・キャッシュが最後のレコーディングで取り上げた『リデンプション・デイ』の作者であり、シンガーでもあるシェリル・クロウはそう語っている。
妻を亡くし、レコーディングすることだけが生きる証であった日々、キャッシュは何度もシェリルに電話をかけてきた。
「よく歌詞のことを聞かれたわ。マン・イン・ブラックは、歌が自分の分子の一部になるまで、自分が書いた曲のように歌えるまで、謙虚に歌に向き合ってくれたのよ」
列車が真っ直ぐに走っていく
天国の門を、天国の門を目指して
その途中には、子供が男が
そして女が列車を眺め、待っている
購いの日を
(石浦)
No.14「Home Of The Blues」
ジョニー・キャッシュが亡くなった直後に行われた追悼イベントでノラ・ジョーンズが選んだのが『ホーム・オブ・ザ・ブルース』だった。主人公が心が折れた者たちに「俺なら、ブルースの家にいるぜ」と優しく語りかける歌で、日本でいえば「失恋レストラン」なのだが、この【ホーム・オブ・ザ・ブルース(ブルースの家)】、ナッシュヴィルのサンレコード近くに実際にあったレコード店がモデルだとされている。
そのレコード店は姿を消してしまったが、今、その辺りには、ジョニー・キャッシュ・ミュージアムが作られ、ジョニーが出迎えてくれるのである。
角を曲がれば、傷心の
道の外れにゃ、負け犬たちの場所
涙をくぐり抜けられりゃ
ブルースの家で俺が待ってるさ
ジョニーと妻ジューン・カーターの愛を描いた映画「ウォーク・ザ・ライン」の中でも、ホアキン・フェニックスがカバーしている。(石浦)
No.15「Man in black」
黒服の男。それはジョニー・キャッシュのイメージそのものだ。実際、彼はステージの上だけでなく、オフステージでも黒い服を好んで着ていたと言われている。だが、バンドのドラマー、W.S.ホランドは2012年、mojo誌のインタビューでこんなエピソードを披露している。
「何でジョニーは黒服なんだと、よく人に聞かれるがね。そいつは実にシンプルな理由さ。俺たちがツアーを始めた頃、長く着続けられることが一番だったってことだ。黒なら汚れが目立たないからな」
それも一理あるのだろう。しかし、キャッシュが歌に込めた想いに嘘はない。
俺は黒を着る
貧しく打ちのめされた人々のため
絶望の中、町の飢えた側にいる人々のため
俺はそいつを着る
長い間罪を償ってきた受刑者たちのために
彼らは時代の犠牲者なのだ
(石浦)