ジョニー・キャッシュがサン・クェンティン刑務所でライブを行ったのは、1969年の2月のことである。ナッシュヴィルはまだ冬の真っただ中にあった。
「その当時、ナッシュヴィルの冬の楽しみといえば、友人の家へ出かけていって、語らい、歌うことくらいのものでした」
シェル・シルヴァスタインの甥にあたるミッチ・マイヤーズはそう話している。
「それはギター・プルと呼ばれていました。誰かがギターを弾きながら、1曲歌う。すると、別の誰かがそのギターをプル(引っ張るように)して歌うわけです。あの晩も、そうでした」
あの晩というのは、ジョニーがサン・クェンティン刑務所に向かう前の夜のことである。そこには、ジョニ・ミッチェルをはじめとして、ジョニー・キャッシュを慕う仲間たちがいた。そしてシェル・シルヴァスタインもそのひとりだったのである。
シルヴァスタインは、1932年、ジョニー・キャッシュと同じ年にシカゴで生まれている。彼が大ヒット作「おおきな木」を発表したのは、1964年のことだ。
世界各国で翻訳されることになるこの絵本の原題は「Giving Tree(与える木)」。「お金が欲しい」と少年が言えば、「私の実を売りなさい」と木は言い、「家が欲しい」と青年になった少年が言えば、「私の枝で家を建てなさい」と木は言う。そしてやがて少年は年老いて。。。最後まで少年に与え続けるりんごの木の物語である。
絵本が大ヒットしても、シルヴァスタインはブルー・シーンズに髭をはやし、カウボーイ・ハットをかぶっていた。そしてそんな彼とジョニー・キャッシュはうまがあったのだろう。
その夜、シルヴァスタインがギターを手にして歌った曲、それこそが「スーという名の少年」だった。
主人公の少年がまだ幼い頃、家族を捨て、家を出ていったヤクザな父親。おまけに、彼は主人公に、スーという女の子のような名前をつけていったのである。主人公は、いつか父親を見つけ出し、やっつけてやろうと誓う。そしてある日、酒場で父親を見つけると。。。という内容の物語性の強い歌だった。
「明日、その歌、歌ったらどうかしら?」
そう言ったのは、ジョニー・キャッシュの妻であり、共にステージに立つ予定だったジューン・カーターである。刑務所の中にいる人たちに、憎しみ合っていた親子の再開の物語は響くはずだ、と彼女は考えたのだろう。
そして当日。ジョニー・キャッシュはステージの床に歌詞を貼り付け、ぶっつけ本番で「スーという名の少年」を歌った。拍手喝采。後にこの曲はシングル・カットされ、ヒット・チャートを上がっていく。
シェル・シルヴァスタインは1999年の5月10日、自らの絵本のページを閉じている。

AT SAN QUENTIN
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