1967年のレコード・デビューから、1971年にボーカルのジム・モリソンが他界するまでのわずか5年で、数々の伝説を残したドアーズ。
その中でも、ベトナム戦争全盛の1968年にセンセーショナルな話題となったのが、銃殺パフォーマンスだ。
ドアーズは2ndシングル「Light My Fire」(ハートに火をつけて)がいきなり全米1位の大ヒットとなり、瞬く間にアメリカを代表するロック・バンドの1つになる。
ベースの代わりにキーボードがベース・ラインを弾くことで生まれる独特のサウンドと、ジム・モリソンが書く狂気と暗闇を内包した幻想的な詩の世界は、“愛と平和”を掲げるフラワー・ムーブメント全盛の西海岸で異彩を放った。
「Unknown Soldier」(名もなき兵士)が書かれたのは翌1968年のことだ。“名もなき兵士”とは身元が確認できない戦没兵士のことで、一般的にはベトナム戦争に対する反戦の歌とされているが、ドラムのジョン・デンズモアは海軍将官であるジムの父親への反抗の歌だと解釈している。
デビュー当時はほとんど動くことなく目を閉じて歌っていたジムだが、この頃には観客を挑発するような過激なものとなり、「The Unknown Soldier」はライブにおける見せ場の1つとなった。
全隊ー 止まれ
ジム・モリソンの掛け声で演奏が止まる。
捧げ銃! 構え!
ロビー・クルーガーがギターを銃に見立ててジムに向けて構える。スネアロールが緊張感を高める中、レイ・マンザレクが腕を振り下ろすと銃声が鳴り響く。崩れるようにして後ろに倒れたジムは、そのまま歌い始める。
名もなき兵士のために墓を建てるんだ
お前の痩せた肩に寄りかかった
名もなき兵士のために
ドアーズはデビュー前の1965年に活動停止の危機を迎えたことがある。当時のアメリカはまだ徴兵制が存続していて、年長で兵役を終えたレイ以外のメンバー3人にも徴集の知らせが来たのだ。
行けば2年間は戻ってこれないので、3人はバンドのためにありとあらゆる手を使って兵役をまぬがれる。(ロビーは精神科医による偽の診断書を提出、ジョンは同性愛の項目にチェック、ジムはあっさりと面接で落ちたらしいが何をやらかしたかは定かではない。)
しかし、一方では徴集されていく友人もおり、ベトナムで戦っているのはまさに同世代の若者だった。もし徴集されていたならば、ドアーズの3人も“名もなき兵士”になっていたのかもしれない。
(銃殺パフォーマンスは1分30秒あたりから)
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