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スライ・ストーンが深夜のウッドストックにもたらしたファンクの狂宴

2024.08.17

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1969年8月16日。ウッドストック・フェスティバル、2日目の深夜3時半。

ジャニス・ジョプリンのステージが終わってから30分ほどが経ち、観客は昼から続くフェスによる疲労と眠気からか、テントや寝袋に入り始めていた。

そんな中でステージに登場する羽目になったのが、スライ・ストーン率いるスライ&ザ・ファミリー・ストーンだ。予定では20時頃に演奏するはずだった彼らは、7時間も待たされてようやく出番を迎える。

深夜の野外ステージには雨が降り注ぎ、観客はテントで眠りつつある。そんな状況を知った彼らは、メンバー同士で互いの手をつなぎ、「とにかく自分たちにできるベストを尽くそう」と気持ちを奮い立たせてステージへと向かう。

スライ・ストーン、本名シルヴェスター・スチュワート。スライは、小学生のときにクラスメイトがSylvesterのスペルを、“Sly”vesterと間違えたことがきっかけでついたあだ名だ。

1943年3月15日、テキサスの中流階級に5人兄弟の長男として生まれたスライは、幼い頃から兄弟でゴスペルを歌い、7歳で鍵盤を上手に弾けるようになり、11歳の頃にはギター、ベース、さらにはドラムまでもこなすという天才少年だった。

家族とともにサンフランシスコ近くのヴァレーホという街に引っ越したのち、高校ではバンドでギターを弾き、16歳にしてインディーズながらソロデビューを果たす。

学校を卒業してからは小さなレコード会社のプロデューサーとなり、1960年代半ばにはサンフランシスコの人気ラジオDJとして活動していた。チャンネルはソウル専門だったが、ビートルズやストーンズなど気に入ったものを色々と流していたという。

1966年には自身のバンド、スライ&ザ・ストナーズを結成し、翌1967年には弟のバンド、フレディ&ソウル・ストーンと合体して、スライ&ザ・ファミリー・ストーンが誕生する。

男女混合で、肌の色も混合という異色のメンバー編成の彼らは、R&Bのリズムとキャッチーなメロディー、ロックをはじめとした幅広いジャンルを取り入れたアレンジ、そして当時のカリフォルニアで流行していたサイケデリックな世界観を取り入れて全く新しいファンクを生み出し、徐々にその人気を集めていった。

そして、1968年11月にリリースした5枚目のシングル「Everyday People」が4週連続1位の大ヒットとなり、ウッドストック・フェスティバル出演へと至る。

ウッドストックのステージで彼らが演奏を始めると、全身を揺さぶる強靭なファンク・ビートが会場に響き渡り、クールダウンしていた観客のテンションは一気に上がっていった。

2~3曲終えた頃には、テントにいた人たちも寝てる場合じゃないと外に出て踊り出し、深夜4時のウッドストックは興奮の坩堝と化す。

大ヒットした「Everyday People」、そして「Dance To The Music」や「Music Lover」といった代表曲を立て続けに演奏すると、スライは観客に向かってコール・アンド・レスポンスを要求した。

「今じゃ大体のやつがみんなで歌うのを嫌がる、それが時代遅れなんじゃないかって感じてるからだ。だが、本来そういうのは流行と関係ないんだってのを思い出してほしい、大事なのはフィーリングだ。もしみんなと歌って気持ちよかったという経験があるなら、それは今だって変わっちゃいない」


そこからスライと観客による「Higher」のコール・アンド・レスポンスが始まり、会場のボルテージが最高潮に達したところで「I Want to Take You Higher」へと流れこむ。


その後も2曲演奏し、全10曲を終えたスライ&ザ・ファミリー・ストーンは、大歓声に包まれながらステージを後にした。

ウッドストックでの熱演は映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』によって多くの人たちに知られ、彼らの人気は不動のものとなる。

Sly and the Family Stone『The Woodstock Experience』
SMJ


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(このコラムは2015年5月12日に公開されたものです)

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