1967年10月22日。その日、ミシガン大学はホームカミングデーを迎えていた。
ホームカミングデーとは、在校生の家族や友人、卒業生らを迎え入れて楽しむ学園祭のようなものだ。校内ではダンスパーティーのほか様々なイベントが催され、通りではパレードが往来したりといった様子で、街全体を巻き込んで大きな盛り上がりを見せていた。
そんな中、体育館では学生バンドによるライブが催されていた。ビートルズのカバーなどが演奏される中、カップルが踊ったりしながら楽しい一時を過ごしていた。
そこにスペシャルゲストとして登場したのが注目の新人バンド、ドアーズだ。5月にリリースしたデビュー・シングル「ハートに火をつけて」が大ヒットした彼らは、若者を中心に人気を集めており、体育館には多くのファンが詰めかけていた。
その1人が当時20歳だったイギー・ポップだった。
イギーはもともとミシガン大学の学生だったが、ブルースとドラムの勉強をするため1965年に中退してシカゴへと渡る。ミシガンに戻ってからは、新しいスタイルのブルースをやるためにアシュトン兄弟とデイヴ・アレクサンダーを誘ってサイケデリック・ストゥージズを結成、イギーはドラムからボーカルへと転向した。
ドアーズのファンだったイギーは、ミシガン大学でライブがあることを知って、そのステージを一目観ようと足を運んだのだった。この時のライブについて、イギーはこう振り返っている。
「そのステージはオレに計り知れないほど大きな影響を与えた」
時間になってステージに現れたのは、ボーカルのジム・モリソンを除く、キーボードのレイ・マンザレク、ギターのロビー・クリューガー、ドラムのジョン・デンズモアの3人だった。
彼らは「ソウルキッチン」のイントロを演奏しながらジムの登場を待ったが、いつまで経ってもジムは現れなかった。不満を募らせた観客からはブーイングが浴びせられ、3人は演奏をやめると一旦ステージを降りていった。
ジム・モリソンを連れて彼らがステージに戻ってきたのは、それからおよそ30分が過ぎた頃だった。
しかし、ジムの足はふらついており、立っているのがやっとという有り様だった。レイによれば、ジムは行きの車の中でウイスキーを飲み続け、会場についた時にはすでに泥酔していたという。
演奏が始まったものの、ジムはまともに歌うことが出来なかった。それどころか、観客に向かって暴言や卑猥な言葉を浴びせ始めた。
ある者はガールフレンドの耳を塞ぎ、ある者はステージにブーイングを飛ばした。観客の怒りを感じとったレイは、ジムを静止しようとする。
「ジム、こいつらを怒らせるな!首の太さを見ろよ、フットボール・プレーヤーだぜ!」
しかし、ジムの様子は変わることはなく、呆れ果てたロビーとジョンは演奏をやめてステージを降りてしまう。レイはロビーの代わりにギターを弾いて何とかステージを続けようとしたが、ジムは座り込んで歌うのをやめてしまい、ついには通報を受けた警察がやって来て、混沌としたままドアーズのステージは終了となってしまった。
それまでホームカミングデーを楽しんでいた学生たちにとって、ドアーズはまさに災厄だった。
ジムがステージをめちゃくちゃにしたのはこれが初めてだった。それゆえにレイはこのとき「すごくショックを受けた」という。
その後、ドアーズのメンバーは時折ジムがステージで行う奇行や暴走に悩まされることとなる。
一方で、このステージを観たイギー・ポップの感想は、とてもポジティブなものだった。
「こいつはたまげたぜ。あの男はみんなを散々苛立たせた挙句、よろめきながらもさらに怒りを煽っている」
イギーは、自分のバンドみたいなキャリアのない連中が真似をしたら見放されて終わりだな、と思う一方でこうも思った。
「オレにだってできる」
それから1週間後の10月31日。自宅のハロウィン・パーティーで初めてのライブをしたストゥージズは、ブルースに根ざしたシンプルで力強いサウンドとイギーのエモーショナルな歌で人気を集めていき、1969年にはドアーズと同じエレクトラ・レコードとの契約を果たす。
そしてイギーは数々の過激なパフォーマンスで知られていくこととなる。
今日ではよく見られる観客の中へのダイヴを生み出し、その他にもステージで嘔吐したり、ガラスの破片の上を裸で転げまわったりして驚かせた。
そうして観客の注意をステージに惹きつけさせると同時に会場をアドレナリンで満たし、そこで自分たちの音楽を鳴らすことで、観るものの感情を大きく揺さぶるのだった。
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