1990年8月13日、アメリカの音楽シーンを揺るがす凄惨な事故が起きた。ブルックリンの屋外でコンサートを行っていたカーティス・メイフィールドが、強風で倒れてきた照明塔の下敷きになって重傷を負ったのだ。
カーティスはマーヴィン・ゲイやダニー・ハサウェイらと並んで、R&Bシーンを牽引してきた1人だった。天性の歌声に加えて、編曲やプロデュースなど幅広い分野で才能を発揮し、ソウルやR&Bにとどまらず幅広いジャンルのアーティストたちに多大な影響を与えてきた。
代表曲の1つである「ピープル・ゲット・レディ」は、ジェフ・ベック&ロッド・スチュワートのバージョンをはじめ、ボブ・ディランやボブ・マーリィ、日本ではハナレグミなどによって、数えきれないほど世界中でカバーされている。
カーティスは一命を取り留めたものの、半身不随という深刻な後遺症が残って、かつてのようにギターを弾くこともできなくなってしまった。
そんなカーティスを励ますために制作されたトリビュート・アルバム『オール・メン・アー・ブラザーズ~カーティス・メイフィールド・トリビュート』が、1994年の2月にリリースされた。
アルバムにはスティーヴィー・ワンダーやエリック・クラプトン、B.B.キング、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーン、レニー・クラヴィッツ、ホイットニー・ヒューストン、ロッド・スチュワートなど、錚々たる顔ぶれが参加しており、その名前を見るだけでも、カーティスがいかに多くのアーティストから尊敬され、愛されているかが伝わってくる。
なかでもカーティスと親交の深かったのが、アレサ・フランクリンだった。アレサの姉でシンガーでもあるアーマ・フランクリンが、その存在と影響の大きさについてこう語る。
「わたしたちは彼をジェントル・ジャイアント[心優しき/温厚なる巨匠/偉人、の意]と称し、現代のデューク・エリントンだと思っていました」
カーティスは1976年にアレサがリリースしたアルバム『スパークル』でプロデュースを手がけ、全ての楽曲を書き下ろした。
このアルバムは全米で50万枚以上を売り上げて、アレサは4年ぶりのゴールド・ディスクを獲得することになった。当時やや低迷気味だったアレサにとっては、人気を取り戻すきっかけを作ってくれたという意味でも、カーティスは特別な存在であった。
カーティスが大怪我をする前にはまた2人で、アルバムを作ろうという話もしていたという。
ところでトリビュート・アルバムの中でアレサが歌ったのは、カーティスのソロ・デビュー・アルバム『カーティス』に収められていた「ザ・メイキングス・オヴ・ユー」だ。
ラジオDJや司会者として人気を博すドニー・トンプソンのテレビ番組『ヴィデオ・ソウル』に出演した際に、アレサはトークの流れからこの歌を生で披露している。
収録の場所はアレサの自宅。ドニーに「ザ・メイキングス・オヴ・ユー」を歌ってほしいと頼まれると、アレサは最初の1~2行だけ歌ってくれないかしら、と答えている。そしてピアノを弾きながら交互に歌い、調子を掴んだアレサは改めて歌い始める。
ほんの少しの砂糖にスイカズラの花
それと満面の幸せそうな表情
ああ、バラの花束も忘れちゃいけない
君を驚かせるくらいのね
周りには笑顔の子供たちによる歓喜
これらによって君はできているんだ
本当さ
これらによって君はできているんだ
かつてプロデュースを務めたジェリー・ウェクスラーによれば、ピアノを弾きながら歌うときのアレサには、なにか特別な力が宿るという。
「アレサを鍵盤の前に陣取らせておくと、パフォーマンス全体がさらに強力かつ有機的になる。アレサ自身が自らのリズム・セクションになり、猛烈なパワーが彼女の中から流れ出てくるんだ」
かつてアレサの自叙伝を手がけたデイヴィッド・リッツは、『ヴィデオ・ソウル』でのパフォーマンスについて、評伝『リスペクト』でこう述べている。
このときの、聖なる世俗性に包まれたアレサは、カーティスの曲の完璧な表現者だった。
カーティス・メイフィールドは1996年、多くの励ましに応えて至高のアルバム『ニュー・ワールド・オーダー』を完成させて、奇跡的な復活を果たしている。それは亡くなる3年前のことだった。
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(注)本コラムは2016年8月16日に公開されました。
参考文献:『アレサ・フランクリン リスペクト』デイヴィッド・リッツ著/新井祟嗣訳(シンコーミュージック・エンターテイメント)