1960年代のアメリカでは、黒人が公民権獲得を求める運動がますます盛り上がりを見せていた。ワシントンD.C.では大規模な行進が行われ、マーティン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある(I Have a Dream)」の演説に20万人以上の人々が酔いしれたのは、1963年8月のことだった。
時を同じくして、その8月に録音されたのがカーティス・メイフィールド率いるインプレッションズのシングル「イッツ・オール・ライト」だ。まだ軽快なラヴ・ソングがヒット・チャートを賑わせていた時代に、いち早く社会に対するメッセージを歌にして、その秋にはR&Bチャート1位を記録するヒットとなった。
「心にソウルを携えて、ゆっくりでもいいから動いていこう、イッツ・オールライト、大丈夫さ、必ず変化は訪れる」という非常にポジティヴなメッセージを詩に織り込んだカーティス・メイフィールドのセンスが光る1曲だ。
「It’s All Right」
その後も、「アイム・ソー・プラウド」や「ピープル・ゲット・レディ」など、黒人であることを誇りに思うポジティヴなメッセージを歌った歌が、多くのファンの心を掴んでヒットする。また、インプレッションズ時代のカーティス・メイフィールドは、子供の頃にゴスペル・グループで歌っていたこともあり、ゴスペル色が感じられるのも特徴だ。
そして1968年、カーティスはエディー・トーマスとともにカートムというレコード・レーベルを設立する。
エディー・トーマスは、オーティス・レディングの「煙草とコーヒー」を手がけたソングライターで、プロデューサーやプロモーターとして活躍したことでも知られている。
二人が共に仕事をするようになったのは1957年、シカゴのローカル・タレント・ショーでジェリー・バトラーとカーティス・メイフィールドを含む5人のヴォーカル・グループ“ザ・ルースターズ”をエディーが見出し、マネージメントを申し出たことから始まった。
グループ名を“インプレッションズ”に変えるように提案したのもエディーであり、ジェリー・バトラー脱退後のインプレッションズにキラリと光るカーティスの才能を見出したのもエディーだった。
1960年代の末頃からアメリカでは、キャロル・キングやジェームス・テイラーなど内省的な歌を歌うシンガー・ソングライターの時代となる。
そこでカーティスは、1970年にインプレッションズを離れソロに転向、セルフ・プロデュースによる、以前にも増してメッセージ色の強いアルバム『カーティス』を発表する。
それは、ニューソウルの幕開けとも言われるマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』に並ぶ1枚であり、マーヴィンよりも約1年ほど早いリリースだったのだ。
「Move On Up」
ソロになってからカーティスの音楽は、ファンク色を強めていった。
少し枯れたファルセットで、時に囁くようにポジティヴなメッセージを歌うカーティスのヴォーカルが印象的だ。インプレッションズ時代から、カーティスのファルセットの美しさには定評があったが、ファンクのリズムに乗ると独特の緊張感を持って響いてくる。
そのスリリングな魅力が爆発したのが、カーティスが全曲を手がけた1972年の映画『スーパーフライ』のサウンドトラックだ。ワウワウを効かせたギターのカッティングと、ラテン・パーカッションのファンキーなリズムに乗って、カーティスのファルセットが独特のスリリングさとドラマティックな雰囲気をを醸し出している。
「Freddie’s Dead」
フレディのようにはなりたくないよ
だってフレディは死んじゃったんだ
もしも死にたくなかったら、
ブラザー、お互い助けあうべきなんだ
誰も真面目にならないことが、俺をイライラさせるよ
惑わされるな
ただフレッドのことを思えばいい
1970年初め、ブラックスプロイテーションと呼ばれる、黒人監督による黒人の娯楽映画がアメリカで生まれた。1971年の映画『シャフト(邦題:黒いジャガー)』がその始まりで、サウンドトラックはアイザック・ヘイズが担当し、大ヒットした。
『スーパーフライ』は、その『シャフト』と当時の人気を二分する大ヒットとなった。
映画は、麻薬の運び屋をめぐるアクションものであるが、黒人の黒人による映画とあって、カーティスは誇り高いメッセージを歌のところどころに忍ばせている。
そのヒットをきっかけにカーティスは、アレサ・フランクリンの『スパークル』(映画日本未公開)のプロデュースなど、後にいくつかの映画音楽を手がけることとなる。
ソングライターとしてもプロデューサーとしても、そしてギタリストとしても、マルチな才能を発揮してきたカーティス・メイフィールドだが、メッセージを伝えるヴォーカリストとして独特の緊張感を持つファルセットの魅力も、多くのファンの心を掴んだと言えるのではないだろうか。
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