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初来日を果たしたサンタナを横尾忠則と引き合わせたディレクターの直感

2016.09.13

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1973年、日本のロックファンは次々と来日する大物アーティストたちに熱狂していた。
4月にはデヴィッド・ボウイが、前年にはエマーソン・レイク&パーマーにディープ・パープル、T・レックスが来日公演を成功させていた。
そして6月にはカルロス・サンタナが自身のバンド、サンタナを率いて初来日を果たした。

当時、CBSソニーのディレクターだった磯田秀人は、サンタナの初来日公演をライヴ・レコーディングしたいと思っていた。
この頃、ディープ・パープルの来日公演を収めた『ライヴ・イン・ジャパン』が世界的にヒットしており、他の洋楽担当ディレクターもその流れに続きたいと思うのは当然のことだった。

ところが、磯田はOKをもらえることをあまり期待していなかったという。

「なにせ、アメリカCBSですらコントロール出来ないわがままでクレイジーなバンドだって噂もありましたし、デビュー以来正式なライブ・アルバムを発表していなかったんですから、世界に先駆けて日本でライブ録音をするってことを許可するはずもないやね、ってのが本音ですよ」(『ロータスの伝説』ライナーノーツより)


ところがそんな予想に反してサンタナは快くライヴ・レコーディングを承諾し、コンサートとアルバム制作の準備は着々と進められていくのだった。

サンタナのツアーは6月27日の福岡を皮切りに広島、名古屋、大阪、京都、東京、札幌の7カ所で開催された。
サンタナのバンドはメンバーの入れ替わりが激しく、デビューした頃のメンバーで残っているのはサンタナ自身を入れて3人のみ。うねるようなオルガンが印象的なグレッグ・ローリーなど、初期のサウンドを支えていたメンバーの多くが辞めてしまっていた。

それに加えて、4枚目のアルバム『キャラバンサライ』では宗教色やマイルス・デイヴィス、ジョン・マクラフリンといったジャズの影響が色濃く現れはじめ、初期のような激しいラテン・ロックを聴かせてくれるのかどうか不安を抱くファンの姿もあった。

案の定というべきか、コンサートは1分間の瞑想とともに始まり、ドヴォルザークの「家路」が壮大な世界観を感じさせるようなアレンジで展開すると、そのままエレクトリック・マイルスを彷彿とさせるような演奏が続く。

しかし、そんな不安を払拭するかのように早くもヒット曲の1つである「ブラック・マジック・ウーマン」が演奏される。
次第にコンサートは激しいラテン・ロックの世界へと変わっていくのだが、序盤の宗教色の濃い世界観と相まって、演奏はレコードで聴くよりも神々しく響き渡った。

終わってみれば、ウッドストックで聴かせたような情熱的なラテン・ロックと、当時サンタナがのめりこんでいた宗教的世界観が見事に一体化した圧巻のコンサートだった。



その一部始終を3枚組という大ボリュームで余すことなく詰め込んだライヴ・アルバム、『ロータスの伝説』が翌1974年5月にリリースされると、大きな話題となった。

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その理由の1つが、イラストレーターとしての道を進みはじめたばかりの横尾忠則が手がけた、22面という前代未聞の巨大なアルバムジャケットだ。

アルバムの制作を手がけた磯田は、アルバムのジャケットを横尾にお願いしたいという想いがはじめからあったという。
当時の横尾は宇宙やオカルト、インド哲学といったものに興味を持っており、一方のサンタナはヒンドゥー教の導師、スリ・チンモイと出会ってその精神世界に深く傾倒していた。

「つまりは、このふたりは全く同じベクトルを目指していたから、絶対に共鳴しあうはずだって、勘が働いたわけですよ」


磯田のこの勘は見事に的中する。
楽屋にいるサンタナに横尾のイラストを見せ、興味があれば会ってみないか?と提案すると、サンタナは「ぜひとも、これを描いたイラストレイターに会ってみたい」と即答した。
後日、磯田はオフの日のサンタナを連れて横尾のアトリエを尋ねると、2人はすぐに意気投合するのだった。

『ロータスの伝説』が完成し、22面に展開された横尾忠則のイラストを目の当たりにしたサンタナは、手を合わせて拝み、「何も言うことはない」と、その喜びを口にしたという。

サンタナ『ロータスの伝説』
Sony

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