2015年10月6日、カーネギー・ホールにはシェリル・クロウやエド・シーラン、元ドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルド、ドクター・ジョンなど錚々たるミュージシャンたちが集まっていた。
それは一人の敬愛すべきミュージシャンを讃えるコンサートであり、43年前の同じ日に同じ場所で開催されたコンサートを再現したものでもあった。
そのミュージシャンの名はビル・ウィザース。
1970年代に数々のヒットを放ちながらも、音楽業界に嫌気が差してしまい、1985年に音楽活動を辞めてしまったという経歴を持つシンガー・ソングライターだ。
彼がロサンゼルスに移住し、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたのは1967年、29歳の頃だ。30歳を目前にしての一大決心だったが、海軍に9年間もいたこともあって、他のミュージシャンたちよりかなり遅いスタートとなった。
工場で働きつつ、デモ・テープを制作していたビルに転機が訪れるのは1970年。ブッカー・T・ジョーンズにその才能を認められたことで、一気にデビューへの道が開けた。
ブッカーはブッカー・T&ザ・MG’sの中心として名を馳せ、「グリーン・オニオン」をヒットさせたほかにも、スタジオ・バンドとしてオーティス・レディングのバックを務めるなど、60年代のR&Bを支えてきた実力派のミュージシャンだ。
そんなブッカーのプロデュースにより、1971年に1stアルバム『ジャスト・アズ・アイ・アム』をリリースすると、収録曲の「消えゆく太陽」が大ヒットとなり、勢いそのままにグラミー賞を受賞する。
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デビューから間もなくして大きな成功を掴んだビルだが、ミュージシャンという収入が不安定で、流行り廃りに影響されやすい仕事に対する不安は大きかったという。
実際、アルバムをリリースする直前まで工場でボーイングの機内で使用するためのトイレを作っており、アルバムジャケットも工場での休憩時間に撮影されたものだ。
「消えゆく太陽」がゴールド・ディスクを獲得した際には、レコード会社から金色のトイレを贈られたというエピソードも残っている。
そんな心配をよそにビルのレコードは次々とヒットしていき、その人気はさらに上がっていった。そして1972年10月6日には、格式高いことで有名なカーネギー・ホールのステージに立ち、その模様は翌1973年にライヴ・アルバムとしてリリースされた。
ビルの歌詞は、家族や友人を取り上げたものが多いが、そんな人柄の良さが、スタジオ作品以上にダイレクトに伝わってくる作品だ。
しかし、1985年に引退してしまったことで、次第に過去の人として忘れ去られつつあった。
そんな彼の音楽が再び注目されるようになったのは、2015年。
この年にビル・ウィザースはロックの殿堂入りを果たし、同じ年の10月6日には、カーネギー・ホールでトリビュート・コンサートが開催される運びとなったのだ。
日付も場所も同じなのはもちろん、セットリストも当時のものを再現し、それを様々なミュージシャンたちが歌い上げていった。
ビルはアンコールで登場すると、エド・シーランのような若いアーティストまでもが、自分に敬意を示してくれたことに感謝の意を述べた。
「ここにいる若いアーティストでさえも私の名前を知っていることに、未だに驚いてしまいます。集まってくれて本当にありがとう」
それはビル・ウィザースの音楽が忘れ去られることなく、時代を超えて愛されていることの証明だった。

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