「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

街の歌

中央フリーウェイ〜ユーミンが描いた黄昏の道は、新しい時代への滑走路だった

2023.12.19

Pocket
LINEで送る

2017年3月1日、“日本音楽界のレジェンド”と呼ばれた男、ムッシュの愛称で親しまれた、かまやつひろしが78歳でこの世を去った。二ヶ月後に東京都内のホテルで行なわれた彼の音楽葬には各界の著名人たちが集まり、その顔ぶれの中には松任谷由実の姿もあった。

“荒井由実”と名乗ってデビューした1stシングル「返事はいらない」のプロデュースは、ムッシュだった。二人の出会いは、ユーミンがまだ13歳の頃だったという。以来、二人は50年間にもわたって親交を温めてきた。

その日、ユーミンは自身が結婚する直前に、かまやつのために書いた楽曲「中央フリーウェイ」を歌い、こんな思いを語った。

「長年の間に私も成長したにも関わらず、よく男と女の関係にならなかったなと思う(笑)。ムッシュとの関係は…ものすごく洗練されたデリカシーのある希有(けう)な男と女の友情だった」



ユーミンがこの歌が発表したのは1976年。“荒井由実”名義の最後の作品となったアルバム『14番目の月』に収録された楽曲で、この直後に同作のプロデューサーだった松任谷正隆と結婚して“松任谷由実”と名乗るようになる。

この時代(昭和51年)と言えば…70年安保闘争をピークとした学生運動の熱も冷めてしまい、様々なものが過渡期を迎えていた頃。それは、若者たちの“気質”が変わろうとしていた時期でもだった。

政治的な思想に染まる学生たちや、親からの仕送りもなく独力で学業を学ぼうとする苦学生も姿を消しつつあった。政治よりも日々の暮らしをエンジョイする、いわゆる“ノンポリ”と呼ばれる若者が大半を占めるようになる。

彼らをあらわす言葉として“新人類”という新語が生まれたのもこの頃だった。新人類たちの中には、若くして車を持つ者もいた。そんな中、日本の発展の象徴ともなった中央自動車道が全線開通を目前にしていた。調布方面から八王子方面に向かって車を走らせると見えてくる景色をそのまま歌にしたのが、この「中央フリーウェイ」だった。

調布基地(調布飛行場)
競馬場(府中競馬場)
ビール工場(サントリー武蔵野ビール工場)

歌詞に登場するそれらは当時、中央自動車道を走行しながら実際に見ることができた。誰もが知っている高速道路を“中央フリーウェイ”という造語に言い換えることによって、実在の風景がまるで日本ではないものに思わせてしまうのがユーミンの凄さである。

当時、こんなロマンティックなドライヴデートは、一部の裕福な人だけが楽しむ特別なものであったが、多くの庶民たちの憧れでもあった。そんな時代を過ごした若者たちにとって、東京西部を東西に貫通する“中央フリーウェイ”は、新しい時代への滑走路だったのかもしれない…


<引用元・参考文献『歌がつむぐ日本の地図』帝国書院>

    TAPthePOPアンソロジー『音楽愛 ONGAKU LOVE』

    TAP the POPが初書籍を出版しました!

    「真の音楽」だけが持つ“繋がり”や“物語”とは? 
    この一冊があれば、きっと誰かに話したくなる

    今までに配信された約4,000本のコラムから、140本を厳選したアンソロジー。462ページ。

    「音楽のチカラで前進したい」「大切な人に共有したい」「あの頃の自分を取り戻したい」「音楽をもっと探究、学びたい」……音楽を愛する人のための心の一冊となるべく、この本を作りました。

    ▼Amazonで絶賛発売中!!
    『音楽愛 ONGAKU LOVE』の詳細・購入はこちらから

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[街の歌]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ