この物語(歌詞)に登場する恋人達が暮らしていたのは、かつて中国・上海の奥地にあった漢口(ハンカオ)の租界。
※「漢口」や「租界」については前編でご紹介しています
歌の中で語られているのは、主人公の女性が回想する愛しくも懐かしい日々である。
それはフレディという名の恋人と過ごした想い出の場面の数々…。
しかし、彼女の“ささやかな夢”は叶うことはなかった。
フレディと共に温かい家庭を築き、仲睦まじく年老いていくという彼女の“未来”は、戦争によって奪い去られたのだ。
1944年4月29日、アメリカ軍は500トン以上の焼夷弾を積んだB29爆撃兵団84機による“揚子江岸大爆撃”を行った。
漢口(ハンカオ)の街の上空は、たちまち真っ黒な厚い煙で覆われた。
煙に覆われた街から目標物を発見することは難しく、後続の一団は爆弾を辺りかまわずばらまくようにして落としていったという。
爆撃による大火災は3日間にわたって燃え続け、隣接する住宅地帯のすべてを焼き尽くし…無情に、残酷に、多くの人々の尊い命を奪い去っていった。
遠い時代の“租界”を舞台にしたこのラブソングは、二人が出逢ったファーストシーンに戻り…静かに幕を降ろす。
年老いた主人公の女性がそっとまぶたを閉じるように。
さだは著書『長江・夢紀行』(集英社)の中でこんなことを語っている。
三教街で過ごした母の青春は、一体何だったのだろう。
『ヘイゼルウッド』や『ボンコ』の想い出は、母の中で“本当の季節”としての春のように、柔らかく温かく育まれているようです。
けれど、実際には、悲惨な戦争というものが背景にあったはずなのです。
だから、ぼくのイメージの中では分裂してしまうのです。
別世界のようです。
とても不思議な気がするのです。
この歌は、彼の母の経験に基づいて創作された“架空の物語”だが…今尚、世界のあちこちで起こっている“現実の話”としても聴こえてくる。
この物語(歌詞)には「戦争がなければ、まったく違う人生を送れたはずなのに」という、激動の時代を生きなければならなかった人々の切々とした願いが込められてる。
日本では集団的自衛権の行使や、憲法九条の改正をめぐって、国民が大きな岐路に立たされています。
中東では空爆やテロ行為により、現在も多くの人々の命が奪われています。
いつかこの世界から“すべての武器”がなくなる日はくるのだろうか?
日本が敗戦して70年…この美しくも悲しいラブソングは、我々に“大切なこと”を教えてくれる。
曲が発表されてから約40年…その美しくも悲しい名曲は、多くのアーティスト達からカヴァーされてきた。
そんな中、さだまさしとは一味違った歌唱スタイルで、よりドラマティックに曲を歌い継ぐ男がいる。
彼の名は“西成の神様”。
大阪にある西成区・釜ヶ崎が生んだ本物のシンガーである。
波瀾万丈な人生経験に裏打ちされた人情味溢れる歌声はもとより、その卓越したステージトーク(べしゃり)で、地元・大阪はもちろんのと、全国各地にいる信者(ファン)達から愛されている。
彼はこの「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて〜」をカヴァーするにあたって、こんな“想い”を持って唄っているのだという。
さだまさしの楽曲が持つ“映画のような世界観”に陶酔しながら…自分の中ではミュージカルを演じるように唄うことを心がけています。
聴いた人が、まるで一本の映画を観ているかのような感覚になってもらえたら幸いだと思っています。
自身のオリジナル曲と共に、さだまさしの楽曲を数多くカヴァーし、全国各地でライブ活動を続けている神様の歌声に、一度“生(ライブ)”で触れてみてはどうだろうか?
神様(本人)曰く「パチモンやからご利益なし!!」とのこと。
ご利益の有無は別として…その魂から搾りだされるような彼の歌声には“人の心を動かすチカラ”が宿っている。
「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて〜」/西成の神様
【西成の神様・略歴】
1964年、大阪西成で生まれ西成で育つ。
幼少期、3歳上の姉の影響で、さだまさしの歌世界に触れる。
小学5年生からギターを始める。
高校では軽音楽部に所属し、パンチパーマでさだまさしを唄う。
80年〜90年代と、まだ大阪で“ストリートミュージシャン”という言葉が定着していない時代に、路上で唄う毎日を過ごす。
00年代は音楽活動を一時封印。
2012年頃から“歌うこと”を再開し、地元西成のライブハウスで再び唄い始める。
2014年、50歳にして1stマキシシングル『寂(レクイエム)唄/西成TOWN』(浪華国際プロモート・西成蓄音レーベル)をリリース。
【西成の神様・Facebookページ】
https://www.facebook.com/kamisama.rr.3
【さだまさしオフィシャルサイト】
http://www.sada.co.jp