Q 5枚の絵であの名曲を表現しました。曲名は何でしょう?
まずはノーヒントで挑戦!
※答えは後日↓↓↓に掲載します。
※これらの絵はあくまでも個人的なイマジネーションであり、聴く人それぞれによって感じ方や見え方は異なります。
※このコンテンツは2022年12月27日に出題されました。
出題/解説:中野充浩
イラスト:いともこ
企画:ワイルドフラワーズ
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★「道化師のソネット」さだまさし
1976年のグレープ解散後、さだまさしは同年11月にソロ活動を開始。「雨やどり」(1977年)や「関白宣言」(1979年)などが大ヒットし、誰もが知るシンガー・ソングライターとなっていた。
そんな中、さだ自身が主演・音楽監督を務めた映画『翔べイカロスの翼』が1980年1月に公開。エンディングで使用されたこの曲は、1980年2月25日にシングル盤としてリリース。翌年11月発売の初のベストアルバム『昨日達…』(イエスタデイズ)に収録された。作詞作曲はさだまさし。
映画は写真家志願の青年・栗原徹が巡業中のサーカスに魅せられて入団し、やがて道化師(ピエロ)となって活躍する姿を描く。原作は草鹿宏のノンフィクション『翔べイカロスの翼 青春のロマンをピエロに賭けた若者の愛と死 』(1978年刊行)で、実話の映画化(1979年10月に西城秀樹主演でTVドラマ化)。
研究熱心で努力家でもあった栗原は、サーカスの演出に道化師と笑いの必要性を感じ、パフォーマンス向上のために日本のパントマイムの第一人者・ヨネヤママコに指導を仰ぐ。また、高度な技術が要される高綱渡りもマスター。入団4年で「ピエロの栗ちゃん」としてサーカスに欠かせない人気者となる。
しかし1977年11月23日、水戸での公演中に転落。そのまま意識が戻らず3日後に亡くなった。享年28。死の直前「子供たちには知らせないでほしい」と呟いたという栗原。こうしてさだまさし屈指の名曲が完成した。
さだまさしオフィシャルサイト
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