ロバート・ジョンソンが“ブルースの神髄”と引き換えに魂を悪魔に売ったという伝説がある。
神業とも言われるギターテクニックを習得するために悪魔と取引きを交わした彼は、契約通り若くして命を奪われることとなった。
その“クロスロード伝説”の十字路は本当に実在するのか?どこの州の何という街にあるのか?これまでブルースファンの間でまことしやかに語られてきたのだが…その真相は明らかではない。
エリック・クラプトン──彼もまた、ギターを極めるために若くして“悪魔に魂を売り渡した男”なのかもしれない。
彼の生い立ちは複雑だった…。
母親のパトリシアは彼を産んだ当時、未婚の16歳だった。
父親は英国に駐留していた既婚のカナダ兵だった事から、彼は祖母に預けられて祖母の再婚相手の子供(実母とは異父兄弟)として育てられたという。
彼はそこで青年になるまでの時期を“リック”と呼ばれて過ごした。
その後、母親はクラプトンを引き取ることはなく、別の男性とドイツで結婚する。
この複雑な家庭環境が長い間、彼の心に暗い影を落とすことになる。
音楽に興味を持つようになったのは、ビッグバンドジャズなどを聴いていた15歳上の叔父(戸籍上では兄)の影響だった。
彼は10代になった頃から、ラジオから流れてくるスキッフル(Skiffle)というイギリスのルーツミュージックやロックンロールを夢中になって聴いていたという。
1953年のある日、彼はテレビの中で「火の玉ロック」を歌うジェリー・リー・ルイスの演奏を見て心を奪われた。
「まるで宇宙人を見ている気分だった。」
「そして突然悟ったんだ!ここにいたら何も変わらないけど、テレビには未来が映っていたんだ。僕もあそこに行きたい!」
ワイルドにピアノを弾きながら歌う男と、その後ろで演奏をしているメンバーが抱えている楽器(ベース)に彼の目は釘付けになっていた。
その当時の彼は、ギターとベースの区別すらついていなかったという。
ただひたすらその楽器が欲しくなり、一度は木を削って自作で作ろうとしたが…結局は家族にねだって“エルヴィス・プレスリー”という名前で販売されていたプラスチック製のギターを買ってもらった。
そして13歳の誕生日に祖父母から本物のガットギターをプレゼントしてもらい、彼はギタリストとしてのキャリアをスタートさせる。
彼は誰に教わることなく、自分の耳で弾き方を学ぼうとした。
「A」と「D」のコードを偶然に発見して、当時は自分が発明したものだと思い込んでいたらしい。
彼は毎日のように家の階段の最上段に座っては、レコードで聴いたものとソックリな“響き”を作り出して楽しんでいた。
そうこうするうちに学校の成績が下がりだし、一方で美術に対する適性を見せるようになった。
祖父母は彼に“商業アート”の道を奨め、彼の興味と才能に合ったカリキュラムのある高校に入学させた。
その後は本人の頑張りもあって、1961年にキングストン大学のデザイン科への条件付き入学許可書を手に入れる。
だが、そこでグラフィック系のステンドグラスデザインを専攻したことを、彼は後に後悔したという。
当時の彼は、どちらかというと芸術学部系の多くいたボヘミアン的な連中と友達になりたかったのだ。
彼の素行は日に日に堕落し、昼休みから酔っぱらってキャンパスをうろつくようになる。
ほどなくして祖父母は、キングストン大学の学長から一通の手紙を受け取る。
当然のことながら、このままの状態で授業をサボることを続けるのならば、籍が危うくなるというのだ。
実のところ、この頃の彼にはアートスクールの授業の他に大いに時間を費やしていたものがあり…その“研究”に関しては並外れた集中力を発揮していたという。
それは夜な夜な自宅の部屋に籠って行う“悪魔との取引き”だった。
十字路へ行ってひざまずいた
十字路へ行ってひざまずいた
天の神様、どうかこの可哀想なボブをお助けください
ああ、十字路に立って車を止めようと手を振った
十字路に立って車を止めようと手を振った
誰も俺に気がつかず、誰もが素通りしてゆく
右に曲がるべきか?
左に折れるべきか?
前へと進む方がよいのか?
それとも、この道を引き返した方がよさそうなのか…
環境破壊やエネルギー問題、政治や経済に関すること…そして、この国が抱える様々な問題。
今、我々は様々に関する「YES」「NO」をちょっと立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれない。
今、我々は時代のクロスロード(十字路)に立っている。
♪悲劇と苦悩を経験したのエリック・クラプトンについてはこちらのコラムをご参照ください。<TAP the STORY——愛の告白の失敗と悲劇に取り憑かれた数年間>
■引用元・参考文献『名盤の裏側:デレク&ザ・ドミノス インサイド・ストーリー』著/ジャン・レイド、訳/前むつみ(シンコー・ミュージック)