2004年のこと。3月30日に59歳となったエリック・クラプトンは、その1週間前に敬愛するブルースマン、ロバート・ジョンソンの作品を取り上げたアルバム『ミー・アンド・ミスター・ジョンソン』をリリースしていた。
アルバムのジャケットには、ロバート・ジョンソンのレコード・ジャケットように座り、ギターを手にするクラプトン、そしてその背後にはロバート・ジョンソンの肖像画が描かれていた。この絵を描いたのは、ビートルズの「サージェント・ペパース・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットを手掛けたことでも知られるピーター・ブレイクである。
「ロバート・ジョンソンを聴いた時から、それまで聴いてきた音楽はすべて、ショーウィンドウに飾られた商品のような気になった」
クラプトンは、そんな言葉でロバート・ジョンソンの音楽を説明している。
「最初聴いた時は、あまりに強烈で恐ろしかった。吸い込める量もごく僅かだった。だが、少しずつ力がついてくると、もう少し吸収できるようになっていく。そんなふうにして、最後には、古くからの親友のような存在になった」
60歳を迎える最後の1年。クラプトンは他にも、人生の節目となるような行動に出ている。
6月には、2回目となる<クロスロード・ギター・フェスティヴァル>をダラスで開いている。このフェスティヴァルは、クラプトンがドラッグやアルコール中毒の治療のために、カリブのアンティグア島に建設した施設クロスロード・センターを支援するための、チャリティー・イベントだった。
クロスロード・センターがつくられたのは1998年。その翌年に<第1回クロスロード・ギター・フェスティヴァル>は開かれている。2004年の第2回は、5年目のアニバーサリーだったのである。
「私が本当の意味で、人生のプレッシャーから逃れられる唯一の場所、それがアンティグアだった」
クラプトンがドラッグから復活した1974年。それは2004年から遡ること、30年。29歳だったクラプトンは復帰作『461オーシャン・ブールヴァード』を発表し、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をヒットさせ、初来日を果たしている。
当時から、黒いフェンダー・ストラトキャスターはクラプトンの相棒だった。クラプトンといえば、ブラッキーという愛称でも呼ばれるこのギターを思い起こす人が多いはずである。
2004年6月。クロスロード・フェスが開かれたその同じ月。クラプトンは2度目となる自身のギターのオークションを開いている。そして、そこにはブラッキーも出品されたのである。クラプトンの分身ともいえる黒いストラトキャスターには、1億円以上の値段がついた。
クラプトンは一度、それまでの人生をリセットさせて、60代を生きていこうとするように見えた。
そして2004年8月2日。彼は若い頃から好きだったブランド、コーディングスの株式を50%取得し、筆頭株主となっている。コーディングスは1839年創業のイギリスの老舗ブランドである。
コーディングス公式サイト(英語)
ロバート・ジョンソン「コンプリート・レコーディングス」
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