『マンデラ 自由への長い道』(Mandela:Long Walk to Freedom/2013)
『マンデラ 自由への長い道』(Mandela:Long Walk to Freedom/2013)は、悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)を打倒するために立ち上がり、「マディバ」の名で親しみ愛された南アフリカ共和国の黒人解放運動の指導者、ネルソン・マンデラの半生を追ったヒューマン・ドラマ。27年間の牢獄生活に屈することなく、撤廃を勝ち取るまでの姿を描く。
原作となったのは刑務所に入って10年目から書き始めたという同名の自伝で、南アフリカ生まれのインド系3世アナトン・シンが製作を担当。企画段階から16年もの歳月を掛けて劇場公開に至った。シンはマンデラと対面した時にこう言われたそうだ。「これは南アフリカの物語だ」と。
映画はこのマンデラを決して“偉大なる人”として捉えるのではなく、野心に溺れた時代や離婚など我々と何ら変わらない側面も取り入れることによって、もし何の予備知識のない人が観ても心打たれる仕上がりになった。
アパルトヘイトとは、1948年に南アフリカで施行された白人主義の政策。非白人は居住、移動、選挙権、職業の自由を奪われ、子供たちはまともな教育も受けられず未来も夢見れないという、とんでもないもの。
すべての人々が協調して、平等な機会のもとで共に暮らす。
民主的で自由な社会という理想に、私は人生を捧げる。
“人生を捧げる”。この力強い言葉にマンデラその人のすべてがあった。「自由と平等の世界のために!」と叫んでも、自らの人生を代償にできる人が一体どれほどいるのだろう。
南アフリカ連邦が成立した8年後の1918年、トランスカイの小さな村で生まれたネルソン・マンデラ。問題児と呼ばれていた時代が過ぎて青年に成長すると、都会のヨハネスブルクに出て大学で学ぶ。法律事務所で弁護士として働きながら成功を手に入れようとするが、一方で至る所で白人至上主義を目の当たりにしていく。
やがて25歳で結婚して子供をもうけ、平凡な家庭を築くマンデラだったが、アパルトヘイト政策が施行されたことをきっかけに、南アフリカ民族会議(以下ANC)青年同盟の活動に傾倒。33歳の時に同議長に就任する。最初の妻と離婚を経験。
若い妻ウィニーと再婚後の1960年。警察による黒人デモ隊への虐殺事件が勃発。これを機に非暴力主義だったANCは穏健路線を放棄。翌年、43歳で軍事組織<民族の槍>を結成して最高司令官として地下活動と武力闘争を先導する。警察はマンデラたちをテロリストと見なして逮捕。国家反逆罪で終身刑の判決が下され、仲間6人と共にケープタウン沖のロハン島へ収監された。この時、マンデラ46歳。
石炭採掘現場などで重労働の日々。看守たちからの屈辱的な扱い。長男の事故死の知らせ。武力闘争に加わった妻ウィニーの逮捕……刑務所内で自分の無力さを感じながらも、マンデラは思索を深めることを決して諦めなかった。南アフリカの未来のためには憎しみを捨て、愛と共存を解く必要性があると思い至ったのだ。
1976年。ヨハネスブルクでアフリカ人学生と警察が衝突して500人以上が死亡。抵抗運動が激化すると、政府は容赦なく連行拷問と暴力措置で対抗する。このような非人道的政策に国際批判が次第に高まり、アパルトヘイトの実態が世界に知られていく。成長した娘のジンジの活動もあり、「ネルソン・マンデラに自由を!」というフリー・マンデラ運動も広がりを見せ始めた。
ベルリンの壁崩壊など世界中で革命が起こっていた1989年。マンデラはデクラーク大統領と会談。そして遂にその日が来た。1990年2月11日、72歳の時に27年ぶりに無条件で解放。
マンデラはすぐさま合法化されたANCの議長の立場に戻り、アパルトヘイト関連法を撤廃。1993年にはノーベル平和賞を受賞。1994年5月に行われた初の全人種選挙ではANCが勝利し、南アフリカ第8代大統領に就任。翌年には児童基金を設立。正反対の意思(武力闘争)を示したウィニーとは離婚した。
この後、高齢となっていたマンデラは97年に大統領を辞任し、99年に政界から引退。そして2013年12月5日、ヨハネスブルクの自宅で死去。享年95。
マンデラが蒔いた種は、世界中の人々の心の中に花を咲かせた。毎年7月18日(誕生日)になると、「マンデラ・デイ」が開かれる。解放闘争に捧げた男の67年間に敬意を示し、67分間の奉仕活動を行う運動も定着してきた。
私は自由への長い道を歩んだ。
それはとても孤独な道だった。
まだ終わっていない。私には分かる。
私の国は憎しみのためにあるのではない。
生まれながらに肌の色のせいで、他者を憎む者などいない。
人は憎むことを覚える。
ならば愛することも学べるはずだ。
なぜなら愛というものは、
人の心にとってずっと自然なものだから。
Nelson Mandela 18 July 1918ー5 December 2013
予告編。主題歌はU2が映画のために新曲を書き下ろした。
80年代には様々なアーティストがネルソン・マンデラや反アパルトヘイトの想いを音楽を通じて発信した。また1988年にはイギリスのウェンブリー・スタジアムで生誕70周年コンサート「フリー・マンデラ」が開催。80を超えるアーティストが集まって演奏やスピーチを行った。この模様は約70ヶ国で放送されて全世界で5億人が視聴した。
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*日本公開時チラシ
*参考・引用/『マンデラ 自由への長い道』パンフレット
*このコラムは2018年4月に公開されたものを更新しました。
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評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
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