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U2やスティングらが人権のために集まった巨大なキャラバン

2024.08.06

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ロックスターたちがキャラバンを組み、全米をツアーで横断することとなったのは1986年のことである。企画を発案したのは創立25周年を目前に控えた人権擁護団体、アムネスティのアメリカ支部に務めるジャック・ヒーリーという男だ。

ヒーリーが最初に相談したのはロック・プロモーターの大物、ビル・グラハムだった。ライヴハウス「フィルモア」のオーナーとして名を馳せ、70年代にはストーンズやレッド・ツェッペリンの全米ツアー、そしてザ・バンドの歴史的コンサート「ラスト・ワルツ」などを手がけてきた、アメリカのコンサート業において最も影響力を持つ人物のひとりだ。

そのビルから「タレントを集めてくれれば、残りはこっちでやろう」という返事をもらったヒーリーは、イギリスとアイルランドのロックスター、スティングやU2の協力を得るところからスタートすることにした。

なぜなら二人はアムネスティ英国支部が1976年から開催していたチャリティ・イベント『シークレット・ポリスマンズ・ボール』を通して、アムネスティの活動に理解を示していたからだ。(詳しくはこちらのコラムへ

1981年の『シークレット・ポリスマンズ・ボール』にも出演していたスティングは、ソロとしてだけではなく、活動停止していたポリスとして出演することとなる。

僕はロンドンでの『シークレット・ポリスマンズ・ボール』に出演していたから、ふさわしい候補者だと思っていたよ。それに、そう、その頃には僕はアムネスティが確固たる支援者で会員でもあったんだ。彼らがどれだけすばらしい活動していたかを知っていたから、喜んで引き受けようと思ったね。


1985年の8月、アイルランドのダブリンに飛んだヒーリーはU2のボノに会うと、「我々は米国の人々にメッセージを届けたいんだ、君たちが力を貸してくれれば、我々のメッセージを大きく広められるんだ」と、アムネスティを支援するために協力してほしいと申し込んだ。

ボノはその主旨に賛同し、1986年の夏に2週間、全米ツアーのためにスケジュールを空けてくれることを約束してくれた。話し合いの後、ボノとマネージャーのポール・マクギネスは、「書面もなしで我々がやるなんて誰も信じないだろう」と、帰り際に書面を手渡してくれた。

この書簡は、U2がアムネスティ・インターナショナル25周年となる年に最低でも1週間、全米においてあなた方の意向に従うことを承認するものである。どうぞ本書簡を、このイベントへの我々の全面支援及び参画の証として、いかなる人のであれお見せください。では現場でお会いしましょう!


ポールは「彼らがアプローチしているすべてのバンドにこれをみせるといいよ」と、ヒーリーに最高のアドヴァイスを授けたのだ。さらにはライヴエイドの仕掛け人であるボブ・ゲルドフも参加を約束してくれ、ボノはピーター・ガブリエルを勧誘してきてくれた。

こうしてアムネスティ・アメリカは、イギリスとアイルランドのミュージシャンたちの協力を得ることに成功したのである。

ビル・グラハムも企画に加わると、彼らは次に米国とカナダのミュージシャンたちへのアプローチを開始した。その結果、ブライアン・アダムス、ルー・リード、ジャクソン・ブラウン、ジョーン・バエズ、ネヴィル・ブラザースといった面々も加わることになる。

ツアーの計画は、何十人ものミュージシャンたちとともに10日間かけて全米を回り、六都市で公演行うという大規模なものだ。最終日にニューヨークのジャイアンツ・スタジアムで開催されるコンサートは、ライヴエイドのときと同様に生中継される。

また、各都市では必ず記者会見を行い、出演者たちがメディアと対面することで、アムネスティの存在とツアーの主旨を広めるというアイデアも盛り込まれた。

ツアーの名称は、ビル・グラハムの案によって「コンスピラシー・オヴ・ホープ(希望の共謀)」に決まった。それは有名俳優たちがアムネスティの意義について語る映像の中で、映画監督のジョン・ヒューストンが語った言葉だ。

ヒューストンは肺気腫で重態だった。その彼がヴィデオの中で最後に言ったのが、「アムネスティ・インターナショナルは希望の共謀(コンスピラシー・オヴ・ホープ)だ」という言葉だ。わたしはこの言葉にショックを受けた。―― 「ビル・グレアム ロックを創った男」より引用 ――




アムネスティ・インターナショナルが主催する「コンスピラシー・オヴ・ホープ(希望の共謀)」は1986年の8月、アメリカの6都市で開催されて大成功を収めた。

ヒーリーがこのように総括している。

ツアーは当初われわれが考えていたものよりどんどん大きく、ますます脂が乗り、パワフルになっていったんです。六人の囚人を釈放するのが”希望の申し合わせ”の希望だったのですが、われわれの力で二人の囚人を自由にすることができました。一人はソ連、もう一人は南アです。

二、三百万ドルの資金が作れればいいなと言ったんです。そしたらほんとに二百六十万ドルも調達できました。ほしかった新会員は二万五千人でした。ところが四万人も集まったんです。

それにわれわれは音楽業界の人たちにもやって良かったと思われたかったんです。喜んでくれました。ツアーに参加してくれた人全員のレコードの売り上げが最終的に上がりました。何しろ、われわれは総計十五万人の人たちにコンサートを見せたんですから‥‥。



*このコラムは2017年8月に公開されました。


アムネスティ・インターナショナル・プレゼンツ 〜ザ・ヒューマン・ライツ・コンサート 1986-1998

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「ザ・ヒューマン・ライツ・コンサート 1986-1998」完全上映フィルムコンサート2017
1986年~1998年に行われたアムネスティの「ザ・ヒューマン・ライツ・コンサート」を可能な限りの映像とライブ音源で記録した歴史的大作を上映するフィルムコンサート2017(全6回)が、音楽の街「下北沢」で行われます。
”Human Rights Concerts”は8月9日と8月23日の2回に分けて上映されます。

day 2: 8月23日(水)
August 23rd(Wed), 2017/6:30pm/7:00~10:00pm
”CONSPIRACY OF HOPE – part 2”(1986)

全席自由。上映途中入場・退出可。
前売 ¥1,800(税込)/当日 ¥2,300(税込)*ドリンク代別途
場所 下北沢GARDEN

【film concert official web】
https://www.facebook.com/amnestyfilmconcert2017/

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