2016年8月、いよいよブラジルのリオ・デ・ジャネイロでオリンピックが開幕する。
南米では初のオリンピック開催だ。
せっかくのこの機会に、ブラジルの音楽にも親しんでみたい。
そこで今回は3つのキーワード「MPB」「街角クラブ」「ブラジルの声」から、ミルトン・ナシメントの魅力に迫ってみる。
―MPB―
MPB(ポルトガル語で“エミ・ペー・ベー”)は、MUSICA POPULAR BRASILEIRA(ムジカ・ポプラーレ・ブラジレイラ)の略で、意味はズバリ“ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック”。
ボサ・ノヴァ以降のブラジルのコンテンポラリー・ミュージックを指す言葉として使われているが、ブラジルの音楽とビートルズやロックを融合させた、1960年代後半に生まれた新しい時代の音楽だ。
そのきっかけを作ったのが視聴者参加型の人気テレビ番組で、歌手とコンポーザーの部門にエントリーしたアーティストが観客を前に演奏し、その作品と歌唱を競うという歌謡コンクールだった。カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、シコ・ブアルキ等、今では国内外でも有名なMPBのアーティスト達が、このコンクールからプロ・デビューしている。
ミルトン・ナシメントも1967年に自作の「トラヴェシア」を歌って2位に入賞、この歌でデビューをかざり、大ヒットとなった。
「トラヴェシア」は、どこか懐かしさを感じさせるメロディーに、スケールの大きさを感じさせる美しい歌だ。
この歌で、ブラジル国内で大きく注目を集めたミルトン・ナシメントは、1968年に他のMPBのアーティスト達よりもずいぶん早く、アメリカでレコード・デビューを果たす。
Travessia
―街角クラブ~クルビ・ダ・エスキーナ―
1964年にブラジルで成立した軍事政権は1985年まで続き、歌詞の検閲が強化され、ミュージシャン達は表現の自由を奪われた。
1968年、ミルトンと同じ1942年生まれのカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが中心となって発表したアルバム『トロピカリア』から、当時の芸術や舞台、文学などとも共鳴しあって、“トロピカリズモ”というムーヴメントが起こった。しかし彼らが取り入れたロックは反社会的とみなされ、社会批判の歌詞を歌ったことから、この二人は逮捕されしばらく国外追放となる。
ちょうどその頃、ミルトンはメキシコなどでアメリカのジャズ・ミュージシャンらとともにコンサートに出演したりしていたが、1969年にブラジルに帰国、その後もひたむきに音楽と向き合っていた。
リオで生まれてミナス・ジェライス州で少年時代を過ごしたミルトンは、同じミナス出身のミュージシャンを中心に集まった仲間で“クルビ・ダ・エスキーナ(街角クラブ)”という音楽コミュニティを作った。そして1972年に同名のアルバムを発表、ミナスの伝統音楽にジャズやボサ・ノヴァやビートルズなどを融合させた音楽を試みていて、前述の『トロピカリア』に続くムーヴメントとなった。
この時代のMPBのミュージシャンは、歌詞の検閲を逃れるため、歌詞に比喩や二重の意味を持たせて歌うなどして、検閲の網をかいくぐったという。
そのような中でミルトン・ナシメントは歌詞を歌わず声だけでその心を表現したとも伝えられている。
アルバム『クルビ・ダ・エスキーナ』に収録されている楽曲「クルビ・ダ・エスキーナNo.2」が、検閲を逃れるためにスキャットだけで歌われたのかどうかは定かではないが、声だけの表現が実に悲しげで美しい。
しかしそれから22年後の1994年に発表されたアルバム『アンジェルス』の中では、この曲の歌詞が力強く歌われている。
時代と社会の移ろいなどに思いを馳せながら、これらを聴き比べてみるのも味わい深い。
Clube da Esquina No.2(1972)
Clube da Esquina No.2(1994)
―ブラジルの声―
1974年にはアメリカのジャズ・サックス奏者のウェイン・ショーターのアルバムに参加するなどして、アメリカのジャズ・ミュージシャンとの交流も深まり、多くの共演作も発表されている。アメリカでのミルトンの活躍は、1970年代以降のジャズ・フュ-ジョンにもたらしたブラジル音楽の影響にも大きく関係していると言えるのではないだろうか。
「ブラジルの声」と国内外から敬愛を持って称されるミルトン・ナシメントの声は、乾いた風のようでいて、ほのかに土の匂いも漂い、どことなく憂いも含みながら、なぜだか懐かしさも感じさせる。
日本語では一言で言い表せないとされるブラジルの言葉「サウダーヂ」や「ブラジリダーヂ」は、もしかしたらミルトンの声から受ける感覚に近いのだろうか。
1976年に、ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックを迎えて作成されたアルバム『ミルトン』に収録の「フランシスコ」における彼のスキャットの多彩でふくよかな表現には、ミナスからブラジルを通して根源的な地球を感じずにはいられない。
Francisco
参考文献:「ブラジリアン・ミュージック」中原仁編 音楽之友社