ブラジルの南東部で、リオ・デ・ジャネイロの北部の内陸部に位置するミナス・ジェライス州は、18世紀にゴールド・ラッシュで繁栄を極めた街だ。
周囲を山に囲まれ、教会が多く、ヨーロッパの伝統を強く感じさせる古い街並と牧歌的な風土が特徴なのだそうだ。
ミナスの首都ベロ・オリゾンチ市には、音楽好きの若者が集まるエリアがあった。1960年代の中頃から、スタジオを借りたり朝まで飲み明かすお金の余裕がない若者が、そのエリアに集まってひたすら楽器を練習し、ブラジルの伝統音楽やジャズ、ボサ・ノヴァ、そしてビートルズ等の欧米のポップスやロックをコピーしていた。
その中にいたミルトン・ナシメントがいち早くデビューを飾り有名になった後、1972年に当時の仲間と一緒にアルバムを出したいというミルトンの強い要望から生まれたアルバム『街角クラブ~クルビ・ダ・エスキーナ』には、まだ10代だったロー・ボルジェスをはじめ、当時の仲間だったヴァグネル・チゾ、ベト・ゲヂスなども参加し、彼らはこのアルバムをきっかけにデビューすることができたという。
この『街角クラブ』で聴かれる一種独特の浮遊感あふれるサウンドは、ソロになった彼らの音楽の基調にもなっていて、ミナス・サウンドの特徴とも語られることが多い。
その例にもれないのが、トニーニョ・オルタだ。
トニーニョ・オルタもまた、その“街角”の仲間のひとりだった。
10代から作曲なども始めていたトニーニョは、他の仲間より早くミルトン・ナシメントの1969年のアルバムに参加し、オリジナル曲「アキ・オー!」を提供している。この曲では、当時21歳のトニーニョ自身もギターとコーラスで参加している。
Aqui Oh!/Milton Nascimento
そして『街角クラブ』の後もトニーニョは、その仲間やミルトン・ナシメントのアルバムに参加するなどしていた。
ミルトンのアメリカでのレコーディングにも参加したことにより、アメリカのジャズ・ミュージシャンとの交流も増え、ジャズ・ギタリストのパット・メセニーとも出会う。
そうしてようやくインディ・レーベルからソロ・デビューを飾ったのは、トニーニョ31歳の1979年だった。
そして翌1980年には、EMI-ODEONからセカンド・アルバム『トニーニョ・オルタ』がリリースされた。このアルバムの1曲目を飾るのが「アキ・オー!」のセルフ・カヴァーだ。よりサンバのリズムが強調され、ゲストにサンバ歌手のホベルト・ヒベイロが掛け声で参加している。
また、このアルバムはミルトン・ナシメントに捧げられているのだそうだ。
Aqui Oh!/Toninho Horta
「ミナス・ジェライス」が繰り返し歌われる作詞は、同じく“街角”の仲間フェルナンド・ブランチによるミナス賛歌だ。
おお ミナス・ジェライス
一台のトラックが運んでいく
二十年以上も待っていた者を
僕は歩いて行くさ
ああ 愛しい君
歩いてだって行くさ 父さん
懐に一銭もなくても
ミナスじゃ喜びは
金庫や聖堂に隠しておくものなんだ
ベランダに君が見える
神の祝福を
オフィスで働く全ての人々
祝福されるのは このミナスの果実
ミナス・ジェライス
ミナス・ジェライス
アルバムにはパット・メセニーも2曲参加していて、トニーニョはパット・メセニーが影響を受けたアーティストであると公言したことにより、パット・メセニーのファンにも人気のアルバムだ。
そのことから、アメリカではギタリストとして知られるトニーニョ・オルタだが、シンガー・ソングライターとしても、コンポーザーとしてもその楽曲の素晴らしさが味わえる1枚となっている。
『街角クラブ』にあるミナス独特の浮遊感に、美しくドラマティックなメロディーがアルバム全体を包んでいて心地よい。
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~「ブラジルの声」と呼ばれるミルトン・ナシメントの歌心
参考文献:ブラジリアン・ミュージック、ブラジリアン・ミュージック2001 中原仁編 音楽之友社