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「愚かなゴミ」と評されたことから始まったダフト・パンク

2019.05.13

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1970年代から80年代にかけて、既存のバンドミュージックとは異なる音楽が世界中で誕生した。その一つが、エレクトロミュージックである。
当時流行していたディスコに反抗心を持ったミュージシャンたちが、シンセサイザーやターンテーブルなどの新たな音楽機材を用いて、新しい「踊れる音楽」を作り出したのだ。
エレクトロミュージックは、いわば80年代におけるカウンター・カルチャーであった。

そして30年を経て、ヒップホップやエレクトロミュージックは、ロック以上に多くの人々に聴かれるまでになった。
そんな新しい音楽でありながら、アンダーグラウンドな存在であったエレクトロミュージックを、メジャーなものに押し上げた立役者の一人がダフト・パンクだ。
メンバーのトーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストは、ロックやブラックミュージックのグルーヴをエレクトロミュージックと掛け合わせて新しい音楽を作り出した。

ダフト・パンクの始まりは1987年、フランスの中学校で当時13歳であったトーマとギ=マニュエルがパリの学校で出会いにさかのぼる。

トーマは父親がディスコミュージックのプロデューサーだったこともあり、幼い頃からダンスミュージックに触れながら育った。
一方のギ=マニュエルも7歳からエレクトーンを習い、幼い頃から音楽や楽器を愛する、やや早熟な少年だった。

二人の共通点は、ジミ・ヘンドリックスやベルベット・アンダーグラウンド、そして映画の『イージー・ライダー』。
ブルージーで開放的なカルチャーが好きであったことから、すぐに仲良くなるのだった。

彼らは17歳になると3人組ロックバンド「ダーリン」を結成する。
音楽的センスに長けていたのですぐに頭角を現し、地元のレーベルとの契約も果たした。



3人の演奏はまだ拙いながら、ポップで哀愁が漂うメロディは、確かな才能を感じさせるものであった。
しかし初めてのシングルをリリースした直後、思わぬ洗礼が待ち受けていた。
音楽誌「メロディー・メーカー」から、10代の青年たちが受けるにはあまりにもショッキングすぎる、厳しい評価を受けたのだ。

「The two Dalin’ tracks are a daft punky trash.」
(ダーリンのリリースした二曲は愚かなゴミだ。)


彼らはバンドとして活動をする自信を見失い、楽曲制作やライヴ活動が出来なくなってしまった。

しかし、そうしてロックから離れていた時期に転機が訪れる。
二人は地元パリで行われていた音楽イベントに行って、生まれて初めてエレクトロミュージックに出会ったのだ。
響き渡るベース音とリズムトラックは、彼らに衝撃を与えた。トーマは当時の感動と興奮をこのように述懐している。

「初めて聴く音楽とその熱気を体験したんだ。みんなその音楽で踊っている。新しいシーンの誕生だと思った」

当時はまだ、エレクトロミュージックを流すラジオ局はなかった。だからこそ、その体験は新鮮なものに映ったのかもしれない。
「新しいシーン」に創作意欲を掻き立てられた二人は、自宅の寝室を改造し、シンセサイザーやDJセットによる新しい音楽を作り始めたのである。

彼らはリズムやベースの刺激的な音だけでなく、ポップで踊りだしたくなるメロディや、肉体的なグルーヴを追求した。
それはトーマの父がディスコミュージックを作っていたことや、二人が少年の頃に聴いたロックンロールやソウルの影響から生まれた発想であった。

エレクトロミュージックを作り始めて一年後の1993年、二人はスコットランドのインディーレーベル、ソーマ・レコードと契約する。
ユニット名はバンド時代に酷評された時の言葉、「a Daft Punky Trash」から取って「Daft Punk(ダフト・パンク)」と名付けられた。
インディーズでのライヴが評判を呼び、4年後には彼らは名門レーベル、ヴァージン・レコードとの契約を勝ち取る。
そして、初めてのアルバム『ホーム・ワーク』をリリースした。



すると収録曲の「Around The World」のミュージックビデオが、MTVでオンエアーされたことで、大きな注目を浴びる。
映像の中でヘルメットを被ったダフト・パンクが、マネキンのようなダンサーとともにダンスをする異様な映像は、世界の音楽ファンたちに衝撃を与えた。



アンダーグラウンドな雰囲気をまといながらも、ポップなメロディと踊れるベースラインが響く「Around The World」は、彼らが目指した音楽の理想形でもあった。
エレクトロミュージックを知らなかった人々も巻き込んで、「ホーム・ワーク」は大ヒットを記録した。
かつて「愚かなゴミ」と評された二人組は新しい表現を見出し、音楽シーンのトップランナーになったのである。

(注)トーマの発言はダフト・パンクのドキュメンタリー映画「Daft Punk:Unchained」より引用しています。


Daft Punk『Homework』
PLG

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