「黒の舟唄」は野坂昭如によるオリジナルが1971年に発表された後、長谷川きよしにカヴァーされたことで知られるようになった。
さらには長谷川きよしの歌で知った加藤登紀子もカヴァーして巷に広まったが、’80年代に入って音楽シーンが様変わりし、昭和という時代が終わった頃には忘れられたような状態になっていた。
’90年代に入ってまもなく、この歌の存在に再び光を当てたのはサザンオールスターズの桑田佳祐だった。
ソロ・アルバム『孤独の太陽』をレコーディングしていた桑田佳祐は、1993年10月6日にアルバムに先がけて3枚目のソロ・シングル「真夜中のダンディー」発売した。
「真夜中のダンディー」はソロ・シングルとして初のオリコン・チャート1位を獲得するヒットになったが、そのカップリング曲に取り上げられたのが「黒の舟唄」だった。
カップリング曲とはレコードで言えばB面、「黒の舟唄」はオリジナルの場合と同じで、またしてもB面から息を吹き返すように、新しい世代にも発見されていくことになったのである。
それからちょうど20年の年月を経て、昭和を背負った名曲の数々を泉谷しげるが女性シンガーとデュエットするアルバム、『昭和の歌よ、ありがとう』が企画された。
泉谷しげるから「黒の舟唄」を歌うようにと、なかば強引に言われたのは女優の大竹しのぶだった。
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「昭和という時代」を強く感じさせる曲として、「黒の舟唄」はここでもう一度発見されることになる。
2013年12月30日、『第55回 輝く!日本レコード大賞』の会場となった新国立劇場では、きゃりーぱみゅぱみゅが優秀作品賞の『にんじゃりばんばん』を披露した後に、優秀アルバム賞を受賞した泉谷しげるが、大竹しのぶと一緒に登場した。
隣の泉谷しげると顔をいっさい合わせることなく、仁王立ちになって大竹しのぶが歌い始めると、会場の観客は完全に静まり返った。
「初めて聞いて鳥肌立った!」
「大竹しのぶがいつもと違う感じで歌い上げてたのが、かっこよかった」
「泉谷しげるがコーラスで引き立てる感じで歌ってたのが印象的」
放送直後からツイッターやブログなどで反響が飛び交ったのは、「黒の舟唄」に新しい生命が授けられたということが、テレビの生中継を観た視聴者にも伝わってくるほど迫力があったからだろう。
「黒の舟唄」は9月14日に放送されたNHKの音楽番組、『SONGS』でも歌われていたが、そのときのパフォーマンスも評判を呼び、週間「サンデー毎日」10月6日号にはこんな記事が載った。
大竹しのぶと歌った「黒の舟唄」(野坂昭如)は異様なインパクトだった。そもそも怪物のような女優なのだが、直立不動で歌の世界という”向こう側”から歌う、黒い服を着た大竹は、まるで置き去りにされたままみたいな、あてどない狂気を孕んでいた。そこに肩を並べつつも半歩引いたようなスタンスで歌を添える、共犯者のような泉谷が新鮮だった。
泉谷しげるのブログでは、「体でリズムをとらず直立で、まっすぐ前を向いて!」と大竹しのぶに指示していたことが語られている。
またNHKのスタッフに対しても、放送するときに画面上に出る「歌詞」テロップ使用を止めるように申し入れたという。
彼女が歌う『黒の舟唄』には、彼女しか表現できない「狂気」らしさを乗せないと味が出ないので、動きを止め、殆ど直立不動で歌に集中してもらった!
オリジナルが生まれてから42年の歳月を経た「黒の舟唄」は、様々に歌い継がれて日本のスタンダード・ソングとして認められたと言えるだろう。
<「黒の舟唄」3部作はこれで終了です。(1)と(2)はこちらからお読みいただけます。
(1)”激動の時代にトリックスターのために作られた、「マリリン・モンロー・ノー・リターン」”
(2)”「黒の舟唄」を歌い継いだ盲目のシンガー・ソングライター、長谷川きよし”>
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