ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」は、シングル盤が発売される前日、東芝レコードの判断によって発売中止が決まった。
レコードは店頭に並ぶことなく回収されて、すべて廃棄処分になった。それに代わって急いで作られた新曲が、「悲しくてやりきれない」だったという話は広く知られている。
ただし、「イムジン河」のテープを逆回転させて作ったとか、譜面の音符を逆からたどったメロディだとか、作曲した加藤和彥の才人ぶりを伝えるエピソードは、少し面白おかしく誇張されたところがある。
〈参考コラム〉ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」は国境を越え、時間を超えて日本人の歌になった
フォークルのメンバーだった加藤は、ニッポン放送の重役・石田達郎から「会議だ」と急に呼び出されて、重役室で「イムジン河」が発売できなくなったことを告げられた。そして「加藤、次出さなきゃなんないから曲作れ」と、その場で言われたのだ。
「ギターがないと作れない」と答えると、部屋にはギターがしっかり用意されていた。観念した加藤はひとり、重役室で曲作りを始めたという。
僕の部屋使っていいから、って会長室に入れられて、3時間あげるからって鍵閉められて(笑)。といってもひらめかないから、「イムジン河」のメロディを拾って譜面に書いてて、これ、音符逆からたどるとどうなるかなって遊んでたの。そこからインスパイアされてできた。実際には「イムジン河」の逆のメロディでもなんでもないんだけど。
フリーの映画プロデューサーを経て、1954年にニッポン放送に入社した石田は、常務取締役から専務取締役、代表取締役社長などを歴任した後に、フジテレビの社長に就任した立志伝中の人物だ。
ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が発売が決まった時には、「この曲はオールナイトニッポンだけでかけろ」と指示を出して、全面的にプッシュした陰の仕掛け人だった。
1967年10月にスタートした深夜放送のラジオ番組「オールナイト・ニッポン」では、12月の初旬から「帰って来たヨッパライ」にリクエストが集まって記録的なブレイクとなった。
フジサンケイグループとして、1970年にキャニオン・レコード(現ポニー・キャニオン)を発足させたこともあって、音楽業界では”石田のお父さん”と慕われていた。
1年間だけプロとして活動することになったフォークルのレコード制作については、ニッポン放送の子会社であるパシフィック・ミュージック・パブリッシャー(PMP)が権利を持っていた。
PMPの社長でもあった石田は、ゼネラル・プロデューサーの立場にあり、現場のプロデューサーが若きミュージックマンの朝妻一郎だった。
きっかり3時間後に部屋に戻った石田は、できた曲も聴かずに、加藤を連れて駒場に住んでいた詩人のサトウハチローを訪ねた。
全然詞のことなんか聞いてないわけよね。きたやまが書くとか、そういうふうに思っていたから。いきなりサトウハチローでしょ。「これから行くから」。いきなり連れて行かれて、それはぼくだけ。
戦前の「ちいさい秋みつけた」や「うれしいひなまつり」といった童謡、あるいは終戦後の日本に響き渡った「リンゴの唄」の作詞家としても知られるサトウハチローは、誰もが知る詩人の大家だった。しかし当時は64歳、もはや現役感はまったくなかった。
加藤は石田の真意が分からなくて、どう反応していいのか戸惑ったという。サトウハチローもまた、加藤が何者かも知らず、特に曲を聴くでもなければ、歌詞についての打ち合わせもなく、お互いに簡単な挨拶を済ませると、石田が手短かに何かを話して帰ってきた。
すべては石田のペースで運んで1週間後、サトウハチローの歌詞ができ上がってきた。加藤が試しにそれ歌ってみると、最初から詞があったかのように一字一句、メロディにぴたりとはまったので大いに驚かされたという。
「もやもや」とかなんとか、「なに、この詞」と思ったんだけど、歌ったらすごい合ってるのよ。それでやっぱりすごいなあと思って、アレンジとかしてレコーディングしたんだけどね、やっぱりすごいよね。
「イムジン河」が発売中止になってからわずか1か月、「悲しくてやりきれない」は1968年3月21日に発売された。偶然にもその日は加藤の21歳の誕生日だった。
時の運や人気だけでなく、加藤には類まれな音楽的な才能があった。
イントロに流れる印象的なギターのフレーズを耳にした瞬間に、懐かしさを喚起させるのはメロディの力である。間奏とエンディングには流れ行く河のように、ストリングスがメロディを奏でる。そこに歌詞によって普遍性がもたらされたことから、いっそう奥が深い歌になったと言える。
全編に通底する「もやもや」とした感覚とやるせなさ、それをわかりやすく言葉に表現したサトウハチローの歌詞は、時代を超えて歌い継がれていくことになった。
生まれてからまもなく半世紀を迎えて、「悲しくてやりきれない」は数多のシンガーに歌い継がれて、今では日本でも有数のスタンダード・ソングになっている。
(注)加藤和彦の発言は、加藤和彦/ 前田祥丈(著)牧村憲一(監修)「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」 (SPACE SHOWER BOOks)、及び「文藝別冊 加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度 」(河出書房新社)からの引用です。
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(このコラムは2014年12月5日に公開されたものです)