その歌は1992年に発売された中島みゆきの通算20作目にあたるアルバム、『EAST ASIA』にさりげなく収められていた。
発表からすでに24年、干支でいえばふた回りもの歳月が過ぎてから、名曲として広く知られるようになった「糸」は、中島みゆきファンのなかで良く知られていても、はじめから一般にまで届いていたわけではない。
人々の注目を集めたのはアルバム発売から6年が経過した1998年のことで、TBS系ドラマ『聖者の行進』で主題歌として使われたことがきっかけとなった。
2月4日に同ドラマで同じく主題歌となっていた「命の別名」とのカップリングで、「糸」もシングルCDとしてリカットされて、そこから静かに広まっていった。
大きな動きが出たのは2004年で、Mr.Childrenの桜井和寿が小林武史らと組んで作ったBank Bandのファースト・アルバム『沿志奏逢』に、カヴァーが収録されたことが発端だった。
そこからミスチル・ファンの間に浸透して、世代を超えていっそうの広がりを持つようになった。
Bank Bandの「糸」がミスチル・ファンに支持されたのは、人と人との出会いとめぐり逢いを縦の糸と横の糸に託した歌詞が、桜井和寿の表現してきた世界や生き方とも重なるものだったからだろう。
シンガー・ソングライターが自身の曲以外をカヴァーする場合、楽曲やオリジナル・アーティストへのリスペクトが強いものになることが多い。
少年時代から中島みゆきに影響を受けた桜井和寿は、同じソングライターとして尊敬と感謝を込めて歌っているのが、聴いていると伝わってくる。
「糸」がいつの間に“神曲化”したのかについて、ヒットチャートの動きやカラオケ・ランキングを分析しているT2U音楽研究所の臼井孝は、2014年に次のように述べている。
92年発売の楽曲が、発売22年目に最も買われていて、最も歌われているというのは、本当に驚くべきことです。
そう言えば、81年にドラマ「3年B組金八先生」の暴力シーンでたった1度流れただけで急上昇した「世情」もその3年前の曲だし、「地上の星」がオリコン1位になったのも、ロングセラーからNHK紅白歌合戦出場を経た2年6ヶ月後、近年「カロリーメイト」のCMで満島ひかりがカバーしてダウンロードヒットした「ファイト!」に至っては、30年前のアルバム「予感」収録曲と、彼女の歌が時間差で脚光を浴びるのは珍しい事ではありません。http://tim251018.jugem.jp/?eid=2592「徒然忘備録」
住友生命のテレビCMに採用されたBank Bandの「糸」に関する問い合わせが増えて、それからの数年間でこの曲は一気に日本を代表する名曲という位置を確保した。
それによってすぐれたカヴァー作品が続々と作られていったのだが、そこには時代の流れや世相の変化も反映されていた。
2011年に起こった未曾有の災害、東日本大震災によって人の命の儚さや運命について、あらためて考えさせられた人が多かったのだろう。
東日本大震災から1年後の3月30日、スポーツニッポン紙に『中島みゆき 名曲「糸」21年目のチャートイン』という記事が載った。
歌手の中島みゆき(60)のライブがデビュー37年目で初めて劇場公開されることになった。5月12日から全国55カ所の映画館で公開される。また、92年発表の名曲「糸」が有線放送「USEN」の最新リクエストチャートで3位にランクイン。東日本大震災の被災地を中心にリクエストが急増している。同曲は公開される映画にも収録されており、中島の歌声がニッポンに元気と勇気を与えてくれそうだ。
「糸」という楽曲に込められたものは、人と人とのめぐり逢わせと繋がりの素晴らしさだけではない。
印象的な最後の歌詞に出てくる言葉、「仕合わせ」という日本語の語源は「し合わす」から来ていている。
「し」は動詞「する」の連用形で、ふたつの動作などが「合う」ことから「し合わす」、それが「仕合わせ」となり、現在の「幸せ」になったという。
「幸せ」と違って「仕合わせ」はその昔、いい意味にも悪い意味にも用いられたようだ。
本来はよい運命も悪い運命も、偶然にめぐり逢った「仕合わせ」だった。
人が置かれている状況に、別の状況が重なって生じることが、その人の運命となっていく。
逢うべき歌とめぐり逢えて「仕合わせ」を感じた人たちが、「糸」を不動のスタンダード・ソングにしたのだった。
(注)本コラムは2016年3月11日に公開されました。