80年代中盤にデビューしたシンガーソングライター、岡村靖幸。
その圧倒的な個性と存在感は、吉田美和、スガシカオ、YUKI、星野源をはじめとした多くのミュージシャンたちからリスペクトされている。
Mr.Childrenの桜井和寿も、その一人だ。
彼はデビュー前に岡村のアルバム『家庭教師』から大きな衝撃を受けたと語る。
「僕は悔しいながらも、このアルバムに打ちのめされた。もはやこの人が天才だろうが、紙一重で背中合わせしたその向こう側の人であろうが、はたまた和製プリンスであろうが、M・ジャクソンであろうが、岡村靖幸さんの音楽を形容するものには何の意味もないことに気づいた」
「それ以降の僕は、この日本におけるミック・ジャガーでもスプリングスティーンでもコステロでもデビット・バーンでもポール・ウェラーでもなく、岡村靖幸Part2になりたいと、悪戦苦闘しながら音楽と愛し合っている」
月刊カドカワ『総力特集 岡村靖幸』より
桜井の言葉の通り、岡村靖幸の音楽には邦楽や洋楽といった枠を超えた、日本語ポップスだからこそ可能な新しさとオリジナリティがあった。
岡村が音楽を作り始めたのは14歳の時だ。
航空会社に勤めていた父親の仕事の関係で、様々な場所で青年期を過ごしていたことから、少し早熟な少年だったという。
高校生になり新潟県で一人暮らしをしたことをきっかけに、ナイトクラブでベーシストを務めながら本格的に楽曲制作を始める。
そして高校卒業後に送ったデモテープが、レコード会社の目に留まり、わずか19歳にして作曲家デビューを果たしたのである。
当時の歌謡曲から海外のファンクまで様々な音楽を聴いていた岡村は、若くして洋楽の響きと歌謡曲のエッセンスを取り入れた楽曲を作ることに長けていた。
彼らは渡辺美里や吉川晃司に楽曲を提供し、若手作曲家として注目される存在になっていく。
作曲家としてのキャリアを築き始めた頃、彼は作曲だけでなく歌の才能も見出され、ソロシンガーとしてデビューを果たす。
21歳にしてデビューを果たした彼は、シンガーとして、そして作詞家としても遺憾なくその才能を発揮することになる。
「愛犬」、「誓願書」、「本妻」といった今までの日本語ポップスの歌詞で使われない言葉を使いながら、独特の声で日本語を英語のように響かせた。
岡村の楽曲は、衝撃的かつ斬新なものであったのだ。
その一方で、プリンスやワムのような80年代の洋楽に影響を受けたポップなメロディは、多くのリスナーに支持されて大衆的な人気を博していく。
そして1990年にはアルバム『家庭教師』を発表し、音楽シーンに衝撃を与える。
この作品は全編を通してどこか妖しげなムードを漂わせながら、80年代から90年代にかけての日本の潮流を切り取った歌詞が印象的である。
トレンドに乗ることで生きる若者たちを揶揄した「どぉなちゃってんだよ」や、ラブソングの体裁で少子化や性愛について歌い上げた「祈りの季節」など、メッセージ性を帯びた歌詞がアルバムには並ぶ。
その言葉たちを崩して歌い、ファンクのリズムやメロディに乗せることで、日本語のポップスとして成立させたのだ。
『家庭教師』は今までの日本の歌謡曲にはなかった新しさと、独自性を持っていた。
彼の音楽はいわば「J-POP」のはしりだったのかもしれない。
とりわけアルバムの二曲目に収められたバラード「カルアミルク」は、時代を超えて聴き継がれている。
リリースから14年後、「岡村靖幸 Part.2になりたい」と語っていた桜井和寿は「カルアミルク」をBank Bandとしてカバーする。
桜井のカバーによってこの曲は再び注目され、今では多くのミュージシャンに歌い継がれるスタンダード・ナンバーになった。
岡村が日本語を崩して歌ったポップスは、日本の音楽シーンに大きな衝撃を与えた。
そして、桜井をはじめとしたのちのJ-POPミュージシャンたちに大きな影響をもたらすことになったのだ。