りりィのプロデューサーだった寺本幸司が、日本で最初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコード」の設立を企画したのは1966年のことだった。
その時期にゴスペルの影響を受けた歌手の浅川マキと出会った寺本は、和製ソウルを開拓しようと考えて、デビュー曲「東京挽歌」を制作してビクターレコードから発売した。
しかし、この楽曲は世間に認められず、自由な歌作りをめざしたアビオンも経営が軌道に乗らなかったので、寺本はレーベルから去ることになった。
寺本はその後、1968年に原盤制作を行う音楽出版社「ジュン&ケイ」の設立に参画した。そして作曲家の浜口庫之助の嘱託スタッフになって働きながら、12月には新宿のアンダーグラウンド・シアター「蠍座」で、寺山修司の構成・演出による「浅川マキ深夜3日間ライブ」を成功させた。
その後、浅川マキは1969年に東芝レコードからシングル「夜が明けたら」を出して注目を集めた。さらにファースト・アルバム『浅川マキの世界 1』が若者たちに反響を呼んで、ロングセールスを記録していく。
寺本は1970年代になって下田逸郎、南正人、桑名正博という個性的でアーティスティックな才能の表現者を発掘してプロデュースしていく。
その頃の出来事を振りかえって「街から」というリトルマガジンに、りりィとはじめて事務所で会った日のことを書いている。2ヵ月後の死を予知していたわけではないだろうが、「この18歳のハーフの女の子には、笑顔がなかった」という言葉がそこには記されていた。
新宿東口の噴水前で、イラスト入りの詩を売ったり、歌をうたって得た何がしかで、ヒッピー暮らしをしているという、この18歳のハーフの女の子には、笑顔がなかった。「何か歌ってみて」といったら、躰が沈むので歌いづらいと、ソファからカーペットの床に正座して、ギターを抱えた。
亜麻色の髪をした美少女だったが、汚れた膝小僧が気になった。ビートルズの「イエスタディ」を、たどたどしい手つきでギターを弾いてうたった。顔に似合わないしわがれた声でうたう、りりィの「イエスタディ」は、まるではじめて耳にする歌のようだった。
1970年の冬、音楽出版社J&Kの応接間でりりィと会ったのは、社長の松村慶子と社員の篠崎伸之、それに寺本の3人だった。松村の伝記的なノンフィクション『おけいさん―菅原洋一からTMNまで女性音楽プロデューサーの人間記』(八曜社)にも、その時の様子が描かれている。
アメリカ人とのハーフの端正な顔立ちをした女の子だった。ただ肩まで伸ばした髪の毛は、いつ手入れしたのかわからないほどからまっていて、ジーンズのミニスカートから見える脚は、汚れてすすけてあちこちすり傷があった。
りりィという名は中学校の時のニックネームだというその女の子は、ギターの弾き語りで「イエスタディ」を歌って聞かせた。喉から絞りあげるようなかすれた声は個性的だった。オリジナル曲が一曲だけあると言った。「愛」というその曲を聞かせてもらうことにした。
その歌を聴いて寺本は驚いた。「空もひとり 海もひとり 私もひとり」という歌詞の、底知れない孤独感にうちのめされる思いがした。
りりィが17歳の時に初めて書いたという「愛」には、孤独な少女の叫びが込められていた。ヒット曲になるような歌ではない。だが素直な歌詞とハスキーなヴォーカルから、純粋な心根が伝わって3人の心をゆさぶった。
すると曲がついていない詩ならまだたくさんあると、りりィは黒い手帳を開いて見せてくれた。そこには詩のほかにイラストも書いてあった。
りりィという表現者の才能を確信した3人はそのあと、1年ほどの期間、最低限の生活費を補償してひたすら歌を作らせることにした。
寺本は70年安保闘争の政治的な敗北の傷跡が深く残ったまま、どこか荒廃した空気が漂う都市の底にいる若者たちのいきどころのない痛みを、歌で癒す妖精のような役割をりりィに託したのかもしれない。
こうしてりりィは1972年5月、ファースト・アルバム『たまねぎ』を東芝レコードから出すことになった。1曲目は「愛」だった。
歌詞カードには彼女が創作した童話「たまねぎ」がイラストとともに載った。アルバム・タイトルの「たまねぎ」は、りりィからの提案だったという。
寺本が「なぜたまねぎなんだ?」 と訊いたら、「たまねぎを切ったとき出る涙がいちばん好きだから」という返事だった。
りりィが最初からアルバムでデビューしたのは、当時では画期的なことだった。それは女性シンガーソング ライターの時代の到来を告げるものとなった。
りりィに続いて荒井由実が7月、かまやつひろしのプロデュースによるデビュー・シングル「返事はいらない」を発表している。そして10月には五輪真弓がCBS・ソニーからロスアンゼルス録音のアルバム『五輪真弓/少女』と、シングル「少女」を同時発売してデビューする。

「たまねぎ」
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