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初期のボブ・ディランによるプロテスト・ソングの傑作「ハッティ・キャロルの寂しい死」

2024.05.26

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ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死(The Lonesome Death of Hattie Carroll)」は、1963年に起きた殺人事件に題材を得て作られたプロテスト・ソングの傑作といわれる。

冒頭から殺人が淡々と語られるところなどは、殺人を克明に描いた”マーダー・バラッド”と呼ばれる曲の影響を感じさせる。

アメリカのアパラチア地方と呼ばれる一帯では、時事的な内容を発展させた”マーダー・バラッド”が古くから伝わり、それが口伝で歌い継がれてきた。

西はアパラチアの一帯とつながっているメリーランド州最大の都市、ボルティモアにあるエマースン・ホテルで51歳になるウェイトレス、ハッティ・キャロルという黒人女性が、24歳の白人男性に殴り殺されるという事件が報道されたのは1963年の春のことだった。

ウィリアム・ザンジンガーは哀れなハッティ・キャロルを殺した
ダイアモンドの指輪はめた手でステッキをふりまわして
ボルティモアのホテルで催された社交会でのことだ
警官たちが駆けつけて 彼から武器をとりあげて
車にのせて警察署へ連行した
ウィリアム・ザンジンガーは第一級殺人で起訴された


キャロルは自分の注文した飲み物をもってくるのが遅かったというだけの理由で、ザンジンガーに頭部をステッキで殴打されて、その場に昏倒した。

ところがパーティに集まっていた200人もの紳士淑女たちは、誰ひとりしてその暴行をおしとどめようとはしなかったという。

ステッキが3つに折れるほどの強さで殴打されて意識を失ったキャロルは、搬送された病院で8時間後に息を引き取った。

しかし、ザンジンガーという名前の犯人は、町の有力者の息子であり、父はメリーランド州の評議員を務めていた。

ウィリアム・ザンジンガーは24歳
600エーカーのタバコ農場を経営していた
裕福な資産家の両親が何でも与えて過保護に育てた
しかもメリーランド州の政治家たちには強いコネがあった
彼は自分のしたことに肩をすくめただけで
ほんの数分で保釈が認められて表に出てきた
口を歪めてあざ笑い ののしりの言葉を吐いて


キッチンのメイドとして働いていたハッティ・キャロルは、51歳で10人の子供の母親だった。客が食べ終えた皿を下げて厨房に運んでゴミを出し、テーブルをきれいに片付けて灰皿を空にする。きれいなテーブルの席についたことなど一度もなく、まして食事する客に話しかけたこともない裏方だった。

そんな彼女が振り下ろされた杖の一撃によって殺された
杖は宙を舞って部屋の片隅に落ちた
すべての優しさを破壊した
彼女はウィリアム・ザンジンガーに 何もしていなかったというのに


第一級殺人で起訴されたザンジンガーはその後、酔っていてハッティに暴行を加えたことすら覚えていないと、裁判所で言い張った。そして判決の日がやってくる。

神聖なる法廷で判事は小槌を叩いて開廷すると
法の下では何人たりとも平等で法廷は公明正大であると宣言した
法律が曲げられたり、いいように解釈されたりことはない
ひとたび警察に追われて逮捕されれば、高貴な身分でも適正に扱われ
法の下には上も下もない
そのように告げてから、何の理由もなく人を殺した人間を見据えた
それから由々しく威厳のある法服で判事は話しかけて
「悔い改めよ」と強い口調で判決を言い渡した
ウイリアム・ザンジンガーは6ヶ月の禁固刑であった


ザンジンガーはその裁判が終わった後に、タバコ畑が収穫期で刈りとり仕事で多忙だとの申立によって、特別に刑の執行を免除された。


そうした事実を知ったボブ・ディランは1963年10月、ニューヨークにある24時間営業のコーヒーショップで「The Lonesome Death Of Hattie Carroll」を一気に書き上げて、その月のうちにレコーディングしていた。

それが3枚目のアルバム『時代は変わる(The Times They Are a-Changin)』に収録されて、その後もステージで歌われることになった。

ただしその歌は人種差別の観点にもとづいてザンジンガー個人の罪を告発するものではなく、人々の意識や社会のシステムに向けられる怒りと、弱者に身をを寄せるやるせない眼差しを持つディラン個人の思いで成り立っていた。

聴き終わって静かな感動に包まれるのは、おそらくはそのためだろう。

そうしたソングライティングにおける姿勢や、弱者に向けられる眼差しはブルース・スプリングスティーンを筆頭に、たくさんのフォロワーへと受け継がれていくことになる。

しかし「ハッティ・キャロルの寂しい死」を吹き込んでから約1ヶ月後、テキサス州のダラスでケネディ大統領が暗殺されるという事件が起こった。

ボブ・ディランはそれを境にして率直なプロテスト・ソングを書かなくなり、音楽的にもアコースティックからエレクトリックに移っていく。


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