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追悼・橋本治~仮面をつけることを知らない山口百恵によって「ひと夏の経験」で表明されたもの

2024.01.28

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1974年の夏に「ひと夏の経験」が発表されると、オリコンのチャートでは最高3位になり、デビュー1年目にして山口百恵にとって最大のヒットとなった。

その一方で「歌の意味が分かっているのか」「歌が下品だ」「不良少女の歌」などいう非難、あるいは苦情や批判がマスメディアに取り上げられて、バッシング的な扱いも見られるようになった。

しかし、山口百恵はキワモノ的だと見下されても、決して萎縮したりすることはなく、女の子の微妙な心理を自分の中で確認しながら唄うことで、表現者としての成長を遂げていく。

もちろん無意識だったわけではなく、彼女の中では以下のように自覚されていた。

 確かに歌として見た場合きわどいものだったのかもしれないのだが、歌うにつれ、私の中で極めて自然な女性の神経という受け入れ方にできるようになっていた。もちろんその頃はまだ想像の域を脱してはいなかったのだが、それでも女の子の微妙な心理を、歌という媒体を通して自分の中でひとつひとつ確認してきたように思う。その意味で私は、歌と一緒に成長してきたといっても過言ではない。
(山口百恵・著 残間里江子・編「蒼い時」集英社)


「ひと夏の経験」は、「青い果実」から始まった”青い性典路線”で、初期の頃に曲としてできあがっていたらしいが、夏向きの楽曲なのでストックしておいて、タイミングを待って再びレコーディングされたという。

ただし、スタッフがあまりの忙しさでそのことを失念していて、山口百恵から「あの曲はどうしたんですか?」と質問されてから、ストックしていた楽曲を思い出したというエピソードが残っている。
曲のタッチやサウンドなどは、確かに「青い果実」とよく似ていた。

こうしてある程度の経験を積んだ15歳になってから、もう一度レコーディングされたことによって、山口百恵は歌手として大きくブレイクする。


作家で評論家の橋本治は、20世紀の100年を総括した著書『二十世紀』のなかで、日本人にとっての1980年は「山口百恵引退の年」であると言い切っている。
そして表現者としての山口百恵についても、このような見解を述べていた。

山口百恵は、作り物じみた「可愛いアイドル歌手」ではなかった。「忘れられかかった日本の少女の生々しさを保持し続けている歌手」だった。彼女の人気を決定的にしたのは、デビュー翌年の千家和也作詞による『ひと夏の経験』である。「あなたに女の子の一番大切なものあげるわ」と歌う彼女の表情は、生々しかった。まだその存在を公然とされていなかった「少女の性欲」が、仮面をつけることを知らない山口百恵によって、素直に表明された。
(橋本治「二十世紀」(毎日新聞社)


これを読むと、山口百恵が同世代を中心にした女性の支持を得ていったことの、時代的な背景が実によくわかってくる。
それまでは社会の禁忌(タブー)として抑圧されていた「少女の性欲」、ひいては「女性の性欲」が山口百恵によって、初めて公然と唄われたのが1974年だったのである。

それによって次第にタブー視されなくなってきて、女性上位という流れを生み出すきっかけにもなった。

デビュー3年目にして山口百恵は自らの希望で、作詞家の阿木燿子と作曲家の宇崎竜童夫妻の作品に出会っている。
そこで生まれた「横須賀ストーリー」を起点にして、彼女はさらなる成長を遂げていった。

橋本は恋愛の対象になった男性のエゴに対しても、自らの意志で異議申し立てをする女性であったと解説している。

 山口百恵は、殊更の発言をしない。しかし彼女は、「男たちへの意義申し立て」を歌う。「自分の職業」を持ち、「女が性欲の存在を公然とさせることはいかがわしいことではない」という事実も、デビューから3年の間で表明した。
 そのことを踏まえて、「男によって作られた、男に奉仕する女」であるということに対してさえも、異議の申し立てをした。そして、男達が女性に安住する建前に意義申し立てをした山口百恵は、恋をしていたのである。


橋本は山口百恵の新しさについて、新しさが主流になろうとする時代に、平気で”古さ”を掲げたことだったと喝破した。

彼女が恋を大事に育んで結婚のために芸能界を引退した1980年は、日本で最初の女性のための就職情報誌「とらばーゆ」が創建されている。
しかし、新しい女の時代が喧伝されていたにもかかわらず、彼女は頂点を極めていた歌手と女優の仕事を打ち捨てて、潔く主婦を選択したのである。

それでも山口百恵はその後も、女性の時代のシンボル的な存在であり続けた。

彼女は、「貧しさから抜け出すことと、愛を得て幸せになることはイコールである」という、それ以前の日本人の常識ーーあるいは幻想ーーまたは理想を、公然と達成してしまった最初の人物である。
その「公然」は、テレビというメディアが可能にしたのだが、山口百恵はまた、その「公然」を得ることによって、「日本人の幻想を達成した最後の人物」にもなってしまった。


山口百恵とは何だったのかについて、橋本は最後にこう結論づけていた。

山口百恵以後、「貧しさから抜け出し、愛を得て幸せになる」という信仰は正しかったのかを、日本人はあらためて問われるのである。



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