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ジェフ・ベック27歳〜第2期ジェフ・ベック・グループの結成、R&B・ジャズ・ファンクなど幅広い音楽性を取り入れた秀作『Rough and Ready』

2025.01.09

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1969年11月2日、ジェフ・ベック(当時24歳)は、カスタムメイドのT型フォードを運転中に、ロンドン南30マイルのメイドストーンで交通事故を起こして重傷を負い、3ヶ月の入院を余儀なくされる。

この出来事により、当時ヴァニラ・ファッジのティム・ボガート、カーマイン・アピス、そしてロッド・スチュワートと組もうとしていた新バンドの構想は白紙となってしまった。

そして1971年、ジェフが27歳を迎える年に、新たなターニングポイントがやってきた。怪我を完治させたジェフは新たなメンバーを集め、第2期ジェフ・ベック・グループを結成する。

ドラマーにコージー・パウエル、ベースにクライヴ・チャーマン、キーボードにマックス・ミドルトン、ボーカルにボビー・テンチという顔ぶれだった。コージー・パウエルは当時のことを鮮明に憶えていた。

「まず適任のベースプレイヤーを探すのに一年近くかかったよ。ジェフはモータウンのスタイルのベースを弾ける奴を探していたんだ。だけどジェフも僕も、その頃はサウンドの方向性を整理できていなかった。そこにクライヴが現れたんだ。彼は本当に理想的だったよ」


当時、クライヴ・チャーマンはキャット・スティーヴンスと仕事をしていた黒人ベーシストで、ジェフはクライヴの演奏をこんな言葉で表現した。

「彼はジェームス・ジェマーソン風のベースラインが弾ける男だ」


次に加入したのは、キーボードのマックス・ミドルトン。当時25歳だったマックスは、港湾労働者として働いていた男だった。マックスは加入当時のことを憶えていて、こんな風に語っている。

「初めてリハーサルに入った時、ジェフは壁際に座ってギターを弾いていた。俺がスタジオの中に入っても顔を上げなかったよ。正直良い印象ではなかった。でも演奏を始めた瞬間、もの凄いパワーを感じたんだ。俺はすぐにジェフのプレイが大好きになった。スタジオを出る時にジェフが俺に“今度一緒にレコードを作らないか?”と言ってくれたんだ。それが始まりさ」


最後に加入したのはボーカルのボビー・テンチだった。所属していたレコード会社(CBS)の強い要望により、もともと決まっていたアレックス・リガートウッドがバンドから外されることとなり、そこに新たに加わったのがボビー・テンチだった。

ボビーは、トリニダード・トバゴ(カリブ海の小アンティル諸島南部に位置するトリニダード島とトバゴ島の二島と属領からなる共和制国家)出身の男で、60年代のはじめにロンドンに移住し、ブルース/プログレッシヴロック/ラテンを取り入れたバンドで活動しながら、ジミ・ヘンドリックスやアニマルズのエリック・バードンとの共演経験を持つ実力派の黒人ヴォーカリストだった。

当時ジェフは彼のことをこんな風に評価している。

「ボビーはピアノもギターも弾ける一級のシンガーでありミュージシャンだった。彼の枯れた声はウィルソン・ピケットやテンプテーションズのデヴィッド・ラフィンを彷彿とさせ、当時俺が目指していたソウルフルな方向性と合致したんだ」


1971年7月、つまりジェフが27歳を迎えた翌月から、ロンドンのアイランドスタジオでレコーディングは始まった。第2期ジェフ・ベック・グループのメンバーの中には、当時まだ“ロックスター”との仕事に慣れていない者もいたという。キーボードのマックス・ミドルトンは、こんなエピソードを憶えていた。

「俺は朝9時にスタジオに入ってスタンバイしていたんだ。みんないつ来るだろう?と思っていると…夕方の7時くらいになって集まり始めるんだ。ジェフがローディーに飯を買いに行かせて、みんなで夕食を食べる。食後にジェフが言うんだ。“なんか疲れたからスピークイージー(酒場)に行かない?”ってね。これが3日も続いたね。もちろん最終的には重い腰を上げたけど、当時は“これがプロのミュージシャンの仕事のやり方なんだ”と驚いたよ」


ボーカルのボビー・テンチも、同様に混乱していた。

「曲のサイズが決まってオケが完成するタイミングなんてジェフにしかわからないから、歌う直前に歌詞を乗せたり、歌入れをやる時間なんて本当に短い時間だった。荷が重いなんてもんじゃなかったよ(笑)」



第2期ジェフ・ベック・グループは、同年の10月に北米で発売となったアルバム『Rough and Ready』でデビューを飾った。ジェフはこのアルバムについてこんなことを語っている。

「とても適切なタイトルだね。ファンクとソウルのグルーヴをR&Bとジャズのメロディーに打ち付け、その中で自由にギターをプレイしたアルバムなんだ。当初は散漫な印象で、ファンには期待外れな作品に思われたりもしたんだ。だけど、幅広いジャンルを取り入れたからこその稀に生まれる予想外の輝きがあるってことさ」


『Rough and Ready』は、ジェク・ベックをブルース・ロックの束縛から解放したアルバムだった。このアルバムで使用した1954年製のストラトキャスターと、トレブルの効かせたマーシャルアンプのから放たれるギターサウンドは、エネルギーとパワーに満ちていた。

リリース後、イギリスで行われた短期ツアーも大好評だった。バンドはレコーディングの時よりも、より一層ハードでヘヴィーな演奏を披露し、ジェフは当時現存したギタリストの中でも、一馬身先を行く存在であることをオーディエンスに見せつけた。

「俺は俺であってそれは変えられない。間違いなく良いバンドだったけど、世界で一番ってわけじゃない。ポシャりたくはなかったけど、長続きするとも思ってなかった。あの頃の俺は音量よりも音楽の持つパワーを求め初めていたんだ」



<引用元・参考文献『ジェフ・ベック ―孤高のギタリスト[上] [下]』マーティン・パワー(著)細川真平(監修)前むつみ(翻訳)/ヤマハミュージックメディア>


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【佐々木モトアキ プロフィール】
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