イギー・ポップは50歳を迎えた頃のインタビューの中で、当時を振り返りながら語った。
この曲は、とても危険な定義を唱えている。影響力のあるアートを作りたいのなら、健全で理性的な生活を放棄することだ。すべてに『NO!』と言い、ブチ壊さなければいけない。レコーディングに入る前から、俺はキャリアの終わりを覚悟した。『この曲は俺を葬るだろう』と…。社会に批判されることは分かっていた。
だけど、そんなことはどうでもよかった。『作る!』と決めたんだ。
1973年、イギー&ザ・ストゥージズが放った曲「Search And Destroy」は、彼の代名詞となった3rdアルバム『Raw Power』のオープニング曲として収録され、リスナー達の脳天を直撃した。
♪「Search And Destroy」/イギー&ザ・ストゥージズ
この1曲が持つ影響力の凄さは、この錚々たるフォロワー達の言動を見れば明らかだろう。
プライマル・スクリームのボビー・ギレスビーは「人生を変えるほど影響を受けた曲」として挙げている。カート・コバーンは、このアルバムを「最も好きなアルバム」として公表しており、ガンズ・アンド・ローゼズもまた「自分たちのルーツ」として挙げている。レッド・ホット・チリ・ペッパーズが自分たちのライブでこの曲を十八番にしていることはロックファンにの間では有名な話だ。そしてヘンリー・ロリンズは両肩いっぱいに「Search&Destroy」と入れ墨を刻んでいるほどだ。
♪「Search And Destroy」/レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
俺は原子爆弾の申し子なんだ!
俺は世界が見捨てた子供
探し出しては壊すだけ
だれか俺を助けてくれ
だれか俺の心を救ってくれ…
(アムバム『Raw Power―レガシー・エディション―』歌詞カードより/2010年・ソニーミュージックエンターテイメント)
歌には危険で過激な表現が剥き出しのまま詰め込まれていた。それは世界に警鐘を鳴らす強烈なメッセージでもあった。
割れたガラス瓶の破片の上を転げまわり、血まみれとなって救急車で運ばれるなど、当時のイギーのステージ・パフォーマンスは狂気に満ち、破滅へと向かっていた。
そして翌年、27歳になった彼は、薬物中毒に陥り※音楽活動ができない状態となってしまう。
原子力利用の歴史は一般に、1938年にドイツの物理学者オットー・ハーンと、ユダヤ人の女性物理学者リーゼ・マイトナーが、ウランの核分裂を発見したことに始まったとされる。
その4年後の1942年、イタリアからアメリカへ亡命していた物理学者エンリコ・フェルミが、核分裂の連鎖反応実験を成功させ、事実上人類は原子力を“手に入れる”こととなる。
それはイギーがこの世に生まれる5年前の出来事だった。以来、人間は原子力エネルギーという魔力に魅せられ、そして翻弄されてきた。イギーは今でもこの曲を歌う時は、ステージ上で狂気を演じ身体をよじらせながら歌い叫ぶ。
♪「Search And Destroy」/イギー&ザ・ストゥージズ(Live at Rock N’ Roll Hall of Fame 2010)
ニュースとテクノロジーがでっちあげたものを見てくれ!
俺は世界の見捨てた子供!
探し出しては壊すだけ!
(アムバム『Raw Power―レガシー・エディション―』歌詞カードより/2010年・ソニーミュージックエンターテイメント)
この歌の背景にはベトナム戦争があると云われている。時は流れ、時代は変わり…いま原子力の脅威にさらされている我々に、この“狂気の歌”が問いかけてくる。
何を選択し、どう生きるか? ニュースとテクノロジーがでっちあげたものとは?
※<音楽活動ができない状態>
バンドが解散した1974年以降、イギーはドラッグなどの影響で精神病院の入退院を繰り返す。その後、彼はベルリンへと渡り、同じようにドラッグ中毒を乗り越えようとしていた盟友デヴィッド・ボウイと共作活動をスタートさせる。そして30歳となった1977年、ソロ・アルバム『Idiot』『Lust For Life』を次々と発表し、見事な復活を遂げる。
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