1973年。いわゆるビートルズの「赤盤」「青盤」と呼ばれるベスト盤が発売された年。ジョニー・キャッシュの長女であり、その後何度もグラミー賞を獲得することになるロザンヌ・キャッシュは、高校を卒業したばかりの18歳。父のツアーに同行し、バスの旅の途中だった。
「当時の私といったら、まわりの子たちと同じように、ビートルズや西海岸のサウンドに惹かれていたの」
と、ロザンヌは語っている。
「この曲は知ってるかい?」
ツアーバスが南部にさしかかった頃、父は娘に聞いた。
「知らないわ、父さん」と娘は答える。
「じゃあ、この曲は?」
「その歌も知らないわ」
そう答える娘に、父の表情が曇った。そして父はバスに揺られながら、歌のリストを書き始めた。
「そして1日が終わる頃、父はそのリストを書き終えると、最初のページに『カントリー大切な100曲 』というタイトルを書き込んだの」
ロザンヌは、こうも語っている。
「もし父が造形美術の巨匠だったなら、造形美術の“秘技”を、長女である私に伝えてくれたでしょう。もし外科医だったなら、私を手術室に連れていって、動脈や臓器がどうなっているか見せてくれたはず。もし悪徳資本家だったら、自分の帝国を見下ろしながら『この全てがいつかおまえのものになる!』と言ったでしょう。でも父はミュージシャンでソングライターだった。だから私に、このリストをくれたの」
そのリストには、アメリカ南部の歌が、初期のフォークソング が、デルタブルース が、南部のゴスペルが並んでいた。
ロザンヌがそのリストを解釈し、12曲を選んで『The List』というタイトルでアルバムを発表したのは、2009年のこと。アルバムにはブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロなどが参加して話題となった。
一方で、ジョニー・キャッシュ自身は晩年、ビートルズの歌を取り上げることになる。2002年、リック・ルービンによるプロデュースの元に発表された、『AmericanⅣ/The Man Comes Around』 の中に収められている「In My Life」である。
自らの死を予感した70歳のジョニー・キャッシュがその低い声で人生を振り返る時、ジョン・レノンが書いた詩とメロディーが描き出す風景は、モノトーンに塗り替えられていく。
2010年。ジョンがもし生きていたら、70歳になる。70歳のジョンが「In My Life」を歌ったら、それはどんなふうに響いたのだろうか。
(このコラムは2014年4月19日に公開されたものです)
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