「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the STORY

阿久悠の27歳~僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです

僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです。 ビートルズの出現で60年代半ばにエレキギターの楽器革命が起こりました。 それまで楽器はプロでなければ扱えなかった…

Extra便

2006年の夏に「誰が歌謡曲を殺したか」という、遺言のようなエッセイを発表した阿久悠

2006年7月1日、東京新聞にひとつのエッセイが掲載された。 タイトルは「誰が歌謡曲を殺したか」という、いささか刺激的なものだった。 これを書いたのは作詞家の阿…

TAP the NEWS

時代おくれ〜バブル景気の真っ只中に阿久悠が見据えていた“日本の姿”とは?

1986年(昭和61年)と言えば、日本がバブル景気に突入した年。 そんな時代に河島英五がCBS・ソニー移籍第1弾として発表したのがこの「時代おくれ」だった。 発…

TAP the STORY

沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲

日本を代表する歌手、沢田研二。 彼はザ・タイガースでデビューした19歳から現在に至るまでの50年以上、毎年欠かすことなくレコーディングし、作品を発表し、ツアーを…

Extra便

久世光彦特集~フランスの漫画祭で顕彰された昭和の天才絵師・上村一夫が歌う「坊やお空をごらん」

フランスのアングレーム市で開かれるアングレーム国際漫画祭は、毎年1月末に開催されるヨーロッパ最大の漫画の祭典だという。 数百人にのぼる漫画作家と20万人以上の漫…

TAP the SONG

西城秀樹にコール&レスポンスを定着させた鈴木邦彦、少年から青年に成長させた阿久悠と三木たかし

子供のころから洋楽が好きで、早くも小学生から兄たちのバンドでドラムを叩いていた西城秀樹は、1972年3月25日に「恋する季節」で歌手デビューした。 そして2作目…

TAP the SONG

坂本九の「上を向いて歩こう」に慰められて大量の涙を流した無名時代の阿久悠

中村八大と永六輔コンビの書き下ろしによる「上を向いて歩こう」が、坂本九によって最初に唄われたのは1961年7月21日、「第3回中村八大リサイタル」のなかでのこと…

TAP the SONG

沢田研二の「コバルトの季節の中で」で抜擢され、「勝手にしやがれ」を仕上げたアレンジャーの船山基紀

1951年に東亰に生まれた船山基紀(ふなやま・もとき)は、早稲田大学高等学院から早稲田大学政治経済学部に進んだが、大学3年の時にアルバイトで始めたヤマハの「ポピ…

TAP the SONG

これが21世紀の歌謡曲~サカナクションの「新宝島」から伝わってくる微妙なる衝撃

1954年の夏、春日八郎の「お富さん」が爆発的にヒットした時に、兵庫県の淡路島で受験勉強をしていた阿久悠は、こんなふうに歌が届いたことに驚いたと述べている。 こ…

TAP the SONG

まだ無名だった阿久悠が「黒い花びら」から受けた衝撃と作詞家への可能性

日本の音楽史に残るエポックメイキングな歌の「黒い花びら」は、1959年7月に公開されたロカビリー映画『青春を賭けろ』の挿入曲で、新人の水原弘が歌って第1回日本レ…

TAP the SONG

高倉健と都はるみが惚れ込んだという隠れた名曲「昭和放浪記」

1972年に「昭和放浪記」を書いた阿久悠は、歌詞が出来上がったときにいい手応えがあったので、凡庸な演歌の作品で終わらないようにと、あえてポップス系の小林亜星に作…

Extra便

小学生の頃から憧れていた小林旭のために、大瀧詠一が渾身の力を振り絞って作曲した「熱き心に」

大瀧詠一は長い間、自分がミュージシャンになったのはエルヴィス・プレスリーに憧れて、ロック・ミュージックに興味を持ったことだと思い込んでいたという。 だが実際には…

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