1954年の夏、春日八郎の「お富さん」が爆発的にヒットした時に、兵庫県の淡路島で受験勉強をしていた阿久悠は、こんなふうに歌が届いたことに驚いたと述べている。
この歌が突然、堂々の行進のように暗い時代の中に流れたのは、昭和二十九年の夏である。ぼくは高校3年生になっていて、大学受験を控えているにもかかわらず、暗闇依存症のように映画館の中にいたが、ある時から、休息時間になる度に、この「お富さん」が流されるようになった。なぜだかわからない。何日間かはこればっかり聴かされた。
「お富さん」 (作詞:山崎正 作曲:渡久地政信)はその年の8月に発売されて、翌年にかけて空前の大ヒットになった。
これによって春日八郎は一躍、スターダムにのし上がった。
歌のテーマは歌舞伎の演目「与話情浮名横櫛 (よわなさけ うきなの よこぐし)」に登場する、“お富”と“与三郎”を題材にしていた。
しかし通称「切られ与三 玄冶店(げんやだな)」とも呼ばれた男女の恨みつらみを描いた歌は、やくざと妾の不倫や殺生沙汰とゆすりの話であったので、内容が不道徳だと良識ある大人たちに眉をしかめられた。
それにもかかわらず爆発的な大ヒットになったこのは、妙にウキウキした明るいリズムと、意味がよくわからない歌詞がかえって面白くて、幼い子どもたちにまで唄われることになったからだった。
まだテレビもない時代だったが各地の盆踊りなどを通して、あっという間に全国へと広まったのである。
大ヒットした体験を顧みて、阿久悠はこのように分析していた。
そして、妙な衝撃を感じたのである。このくらい世の中が暗いと、このくらい明るいものでないと闊歩(かっぽ)できないだろう、という思いである。アナーキーである。どこか自棄的にも思える。しかし、春日八郎は、これ以上はない生真面目な歌唱法で歌っている。手拍子が似合わない、律儀な歌い方なのである。それがよかった。
当時の阿久悠は結核が治ったばかりで、社会も暗かったが自分も暗かったという。
その閉塞感といったらたとえようもないもので、まわりから変人と思われることだけが自己主張のように考えていたとも語っている。
そして時代は暗く、先々には希望が見えていないなかった。
社会ときたら最悪で、三月に第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴び、造船疑獄は法務大臣の指揮権発動で闇に葬られ、おまけに国会は連日の乱闘騒ぎで呆れたり、しらけたり。面白いことといったら、力道山の登場とマリリン・モンローの来日くらいであった。
これを作曲した渡久地政信は沖縄県国頭郡恩納村の生まれで、奄美大島で少年期を過ごしたことから、沖縄民謡のカチャーシーはお手のものだった。
そこにアメリカ生まれのブギ・ウギのリズムを掛け合わせて、江戸の歌舞伎から歌詞を持ってきたのことで、なんとも不思議なワールド・ミュージックが誕生した。
こういうところがカルチャーにおける雑食性の面白さ、日本の歌謡曲の底力なのである。
サカナクションの「新宝島」から伝わってくる堂々たる行進といった気配からは、どことなく”21世紀の歌謡曲”という感覚が伝わってくる。
2005年に北海道小樽市で結成されたロックバンドのサカナクションのリーダーは、ソングライターとしても注目を集める山口一郎である。
彼は2019年6月25日のインタビューのなかで、歌謡曲についてこんな発言をしていた。
サカナクションのコンセプトは最初、「歌謡曲とダンス・ミュージックの間を行く」でした。マジョリティを好きな人にもマイノリティのおもしろさを知ってもらいたいし、マイノリティ側の人にはエンターテインメントの作為性を理解してもらいたかったんです。
サカナクションは結成から2年後にメジャー・デビューし、アルバムセールス20万枚&ツアーのソールドアウトを目標にして、スタッフともどもチームとして歩んできたという。
そして2013年にはその目標を、すべて達成することになった。
しかしメジャーでひとたび成功すると、さまざまな葛藤にさらされることになるのは、昔も今も変わらない。
紅白にも出たし、マジョリティ側にも刺さるようになって「さらに上を目指そうか」と、みんなで話をしたんですが、これ以上行くにはもっとテレビに出なきゃいけないし、ある種の“政治”も使わなきゃいけない。
そういうことには意味がないというか、それをやっちゃうとバンドが終わってしまうと思ったんです。「上」に行くためには想像を絶する“やりたくないこと”もやらなきゃいけない。40歳になってもステージの上でタテノリをあおったり、MCでくさいことを言ったり。それは絶対無理だと思いました。
彼らはそれから6年もの時間をかけて、アルバムの制作に打ち込むことになった
それは目ざしていることが音楽の創造であり、有名人や芸能人になることではなかったからだろう。
サカナクションのオリジナルアルバムとしては約6年ぶりのアルバム『834.194』は、2枚組の充実した大作となった。