TAP the DAY

高田渡が灰田勝彦から教わった歌の秘訣、「江利チエミ、美空ひばりなんか‥‥」

2015.10.22

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大好きなフォーク・シンガーのピート・シーガーを目標に、シンガー・ソングライターになる決意を固めた高田渡が、「日本人として、日本語の表現を突き進む」と日記に書いたのは17歳の時だった。

中学を出てから東京・代々木にある印刷工場で働いた高田渡が、ブラザース・フォアのレコードを聞いてフォークソングに開眼したのはその1年前だ。
はじめはメロディの心地よさに惹かれて好きになったが、つぎにバンジョーという楽器に興味をもったことから、バンジョーの名手だったピート・シーガーを知って傾倒していった。

Henry A. Wallace, making a political tour of the American South, listens to Pete Seeger, a banjo-playing singer, on a plane between Norfolk and Richmond, Aug. 28, 1948. (AP Photo)

ピートは先祖たちが残した歌を調べるためにアメリカ中を回り、多くのフォークソングを発掘してそれをうたいつぐことで世に広めた。
1966年3月の日記にはピートについて、特別の思いがこう記されていた。

 彼のうたう歌には、うたい方には、[自分を出そう]というものがないのです。どことなくすいこまれていく、そして、歌そのものに魅力を感じさせるものがあります。これが本当の「人民の歌手・人民の中の歌手、ピート・シーガー」だと思います。
 それと彼のひく5絃バンジョーはとっても好きです。もう1人のピート・シーガーといってもいいくらいです。


高田渡は毎日のようにレコードを聞いてはバンジョーの練習に精を出し、日本語の歌詞を書き始めるようになっていく。
師と思っていたピート・シーガーに、こんな手紙を書いて送ったのは5月のことだ。

ぼくは「あなた」からフォークソングという大衆の歌を習い、学びたいのです。
ぼくはほんとうの大衆の音楽というものを身体と心で勉強したい、学びたいと願っています。
これから色々な事を学びとるための基礎の勉強をおしえてください。
ぜひおねがいします


ピート・シーガーから8月の末に返ってきた手紙には、勉強するための教材としてはソングブックやレコードが役に立つと書いてあった。
そして『君の足下には日本のフォークソングが転がってるはずだ』という意味の示唆もあった。

そこから明治の演歌について調べていくうちに、高田渡はフォークソングと演歌を掛け合わせることで、新しい歌を作ることが自分のやるべきことなのだと見い出していく。

新宿のコタニ楽器で偶然に会った往年のスター歌手、灰田勝彦との会話のなかで歌についての大事なアドバイスをもらったのは1966年10月22日のことである。

 灰田さんは「どう、やっている?」と聞いてきた。僕は前、灰田さんの所に(コタニのウクレレ・ギター教室)バンジョーを習いにいっていた。まだ、その頃は、バンジョーの教則本もなかったのでした。
 そして、僕は「えー、やってます。教則本とレコード(教則本付属の)でやってます。が、なにしろむずかしい楽器だから、苦労しています。学生の人たちは、みんなレコードでやっているそうです。テープに吹きこんで回転をおそくして音をとってやるそうですよ。こんなやり方でもいいのでしょうか?」と灰田氏にたずねた。


ハワイ生まれの灰田は1936年(昭和11年)に立教大学を卒業し、日本ビクターと専属契約を結んで「ハワイのセレナーデ」で歌手デビュー、翌年の「真赤な封筒」が初めてのヒット曲になった。

日本で最初にカントリー&ウエスタン調の甘い歌声と、スチールギターの入ったサウンドやヨーデルで灰田は一世を風靡した。


「真赤な封筒」はハワイ民謡などとも伝えられたが、実はカントリーのスタンダード・ソング、「オー・バイ・ジンゴ(Oh By Jingo!)」の日本語ヴァージョンだった。
灰田は戦前の日本人が知らなかったアメリカの古い曲を知っていたのだ。

戦後になってからも「東京の屋根の下」や「野球小僧」などをヒットさせた他、歌謡映画にも数多く出演してモダンボーイの映画俳優としても活躍した。

 声タイ模写のうまい人は、絶対に歌がうまくなりますよ。江利チエミ、美空ひばりなんかの小さい時をよく知っているけど、彼女たちはとてもマネがうまいんですよ。そのうちに、それぞれのよさをつかみ、だんだん自分のものを作っていくんですよ……。
 だから、譜が読めなくても、そう気にすることはないですよ。レコードなどを利用してやったほうが早いでしょう。


譜面が読めないことで独特の世界をつくり出したトランペッター、ルイ・アームストロングなど、具体的な例をあげて灰田は高田渡に音楽の練習方法について教えてくれた。

ピート・シーガーも「譜面など気にするな」と言ってたのを思い出した高田渡は、レコードを聴きこんで練習することによって歌と音楽を自分のものにしていくという道を進むことにした。

高田渡のノート

2005年に高田渡が亡くなってから10年が経ち、息子の高田漣の編纂によって10代のころに書いていた日記が『マイ・フレンド: 高田渡青春日記1966ー1969』という単行本になった。
灰田からバンジョーを習っていたという貴重なエピソードは、そのなかで初めて明らかにされたものだった。
しかも江利チエミや美空ひばりを例にして、どうやって歌を自分のものにしていくかの秘訣もさりげなく教わっていた。

アメリカのフォークソングを日本語でうたうことによって、高田渡は「日本人として、日本語の表現を突き進む」ために、まだ何もお手本がないなかで模索しながら唯一無二の音楽を身につけていく。

ピート・シーガーが高田渡の先生だったとするならば、さりげない言葉で「気にしないでやることだよ」と教えてくれた灰田勝彦は、すれ違いざまに出会った親切な先輩だったのかもしれない。


ピート・シーガーがうたう「アンドーラ」は、高田渡の「自衛隊に入ろう」の元歌



高田渡『マイ・フレンド―高田渡青春日記1966-1969』

高田渡・著/高田漣・編
『マイ・フレンド―高田渡青春日記1966-1969』

(河出書房新社)



高田渡『イキテル・ソング~オールタイム・ベスト~』

高田渡
『イキテル・ソング 〜オールタイム・ベスト〜』

(ベルウッド・レコード / キングレコード)


【高田渡特集】
TAP the POPでこれまでに紹介した記事をまとめました
http://www.tapthepop.net/special/takadawataru

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