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忌野清志郎がNHKホールで行われた『どんと 紅白』のトリで歌った「孤独な詩人」

2019.01.27

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どんとがハワイで急逝したのは2000年の1月28日、まだ37歳という若さであった。
訃報を聞いた忌野清志郎はレギュラーで書いていた雑誌に、こんな追悼文を寄せている。(注1)

雰囲気のあるいい奴だった。俺の音楽の理解者だった。
もっとたくさん会えば良かったが今はもう遠い。今年も年賀状が届いたばかりだというのに…。
さようなら、どんと。安らかに眠ってくれ。
僕はこの月の砂漠で昔のことを想い出しては笑ったり、時には涙を流したりする。
ひとりぼっちとはいえ、なかなか人生は忙しいもんだ。

清志郎メンフィス

どんとはRCサクセションのレコードを、高校時代から全部集めて持っていた。
ライブを何度も見に行っていたので、服装も唄い方も清志郎を真似てたし、その頃に作った歌も清志郎にそっくりだったという。

仲間たちが「おまえのその清志郎ぶし、何とかしろ」と言ってやめさせるほど、どんとには清志郎に染まっていた時期があったのだ。

どんとが自分のそんな過去を一気に思い出したのは、ボ・ガンボスを解散してソロになって音楽業界から一線を画し、家族と一緒に沖縄にわたてたった一人で音楽活動を始めていた1995年である。
その日のことを雑誌に寄稿した文章が残っている。(注2)

海で遊んで家へ帰るとケーブルテレビで忌野清志郎のコンサートをやっていたので、友達とワイワイ騒ぎながら見てたら、自分も子供たちをステージに出して楽しそうに歌っていた。
前はお客のことをさんざん悪口を言って胸をもんだりパンツに手を入れたり「ブスは帰れ」といっていたのに、今ではお客さんに優しくなって「変わったなあ」なんて見てたら急に初期の『わかってもらえるさ」を歌い始めて俺は急に想い出した。
「これ大好きだった!」そうだ俺の人生は清志郎一色だったのだ!


ひとたび素晴らしいバンドやミュージシャンに出会ったならば、その音楽を全身全霊で体感し、吸収できるものはすべて自分のものにするまで熱愛する……それがどんとにとって音楽との真剣なつきあい方だった。
ボブ・ディランやビートルズのときがそうだったように、どんとはフォーク時代の忌野清志郎に入れ込んでいた。

そして若い頃にタイムスリップしたどんとには、10代だった頃の想い出が次々と出てきて、忌野清志郎の歌が万華鏡のように輝いて聴こええたという。

翌日、すぐに那覇の国際通りにあったベスト電器に行って、RCサクセションが3人だった頃のセカンド・アルバム『楽しい夕べに』と、初期のベスト・アルバムのCDを購入して家に帰った。
そしてどんとは再び、大ファンに戻ってしまったのである。



二人が初めて会ったのはイベントで共演した際に、どんとが清志郎の楽屋に会いに行ったからだった。
だが、お互いに極度の人見知りゆえ、その場では話があまり弾まなかったらしい。(注3)

二人とも照れて話すことがなく、黙って数秒たってから清志郎が「ギター見る?」と言って新しく買ったギターをさわらせてくれた。
おれは少し触ってすぐ返して、また照れながら自分の出番になったので、ステージに行った。
おれは歌の中の清志郎と同じだと思った。
彼の『ヒッピーに捧ぐ』という唄の中に、死んだヒッピーに「明日また楽屋で会おう。新しいギターを見せてあげる」という一節があったのを思い出したからだ。




どんとを偲んで年に一度は開かれてきた『soul of どんと』は、2006年には7回忌を記念してNHKホールで開催された。内容も『どんと紅白』という趣向であった。
<参照>“soul of どんと 2006”2006年1月27日 NHKホール オフィシャル・ライブ・レポート


そのときに白組のトリを務めたのが忌野清志郎で、 どんとが1997年に発表したソロ・アルバム『DEEP SOUTH』から「孤独な詩人」を選んで、それを得意のマント・ショーのスタイルで披露した。

「孤独な詩人」 作詞・作曲 どんと

何処へ歩いていくのでしょう  
ひとりぼっちで ギターを弾くよ
雨に打たれて 花のうたを  
声にならない 虫のうたを
明日は 空も 晴れてくれるさ
そして 目を開けたら 舞台の上
フラリ倒れて 友達や仲間たち  
ボンヤリ浮かんで消えた

星になったのさ 星になったのさ
星になったのさ 星になったのさ



忌野清志郎は最後の歌詞「♪ 星になったのさ」というフレーズを、「あいつは星になったのさ」、「どんとは星になったのさ」と、何度も何度もくり返して胸が張り裂けんばかりに歌った。
その時のライブを会場で見ていた者にとって、渾身のパフォーマンスは鬼気迫るものがあった。

それからわずか3年後、忌野清志郎もまた星になったのである。




*本コラムは2015年2月2日に初出公開された『どんとが愛した清志郎が、どんとのために歌ってくれた「孤独な詩人」』の改訂版です。

(注1)「TV Bros」3月4日号 ”瀕死の双六問屋”からの引用です。
(注2)(注3)は、情報雑誌「おきなわJOHO」連載「どんとのどんと焼」からの引用です。


↓↓↓デビュー25周年記念(2015年)「ボ・ガンボス特集」はこちら






‪RCサクセション w/ボ・ガンボス、JUN SKY WALKER(S‬)「雨上がりの夜空に」 at 仙台・ロックンロールオリンピック 1990年8月
RCサクセションとボ・ガンボスの数少ない共演映像。人見知りが出ているのかステージ上でお互いに、少し照れくさそうにしているどんとも清志郎も微笑ましい。

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