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音故知新③〜こうしてR&Bが誕生した

2023.07.21

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今回の音故知新は、R&B(リズム・アンド・ブルース)のルーツに迫ります。
このジャンルは時代と共に洗練され、進化も著しく、その特徴を一言で言い表すのは難しい。
R&Bといえば、後に発展するロックンロールなどにも多大な影響を与え、現代でも様々なアーティスト達が“表現(パフォーマンス)の基礎”としている音楽ジャンルである。
黒人系大衆音楽として今や世界中で愛されているこの「R&B」という呼称は、ビルボード誌の編集者だったジェリー・ウェクスラーというユダヤ系白人の男によって作り出されたといわれている。
後にアトランティックレコードの経営者となるウェクスラーがこの呼称をつけるまでは、一切の黒人音楽は「レイスミュージック」と呼ばれていた。
1920年代のブルースのレコードにはレイスミュージックと記されており、その他ジャズやゴスペルなども含めてあらゆる黒人音楽がそのように呼ばれていたのである。
それまではビルボード誌でも黒人音楽のチャートを“レイスミュージック・チャート”として発表していたという。
しかし1947年の或る週末「もう、こういう名前で呼ぶ時代ではないだろう」「何か違う名前で呼ぼう、週末の間に皆で考えよう」と、ビルボード誌編集部で話が出たのをきっかけに、次の火曜日にウェクスラーが「R&B(リズム・アンド・ブルース)っていうのはどうだろうか?」と提案し、それが採用されたというのだ。






それともう一つ、このR&Bというジャンルの誕生にはラジオの存在が深く関わっていた。
第二次世界大戦後、全米に白人経営による黒人音楽を流すラジオ局が爆発的に増加したという。
連邦通信委員会によってそれまで規制されていたラジオ局の数が緩和されたのだ。
テレビの普及と共に、中流階級の白人を中心に“ラジオ離れ”が進む。
ラジオは少しずつマイノリティーに特化したメディアとして生き残りをかけるようになる。
小規模なラジオ局はレコードを用いた番組編成に慣れており、DJ(ディスクジョッキー)の重要性が高まっていったという。
リスナーの趣向を見極めつつ強烈な個性で番組を率いるDJが、レコードのセールスマンでありヒットを作り出すキーパーソンとなっていた。


──それは1951年の夏の出来事だった。
オハイオ州クリーブランドで『レコード・ランデヴー』というクラシックレコード専門番組を担当していたDJアラン・フリードは、自身の番組を『ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティー』という名前に改変する。
彼はその数週間前に地元レコード店に招かれ、白人のティーンエイジャー達が店内放送で流れるR&Bに合わせて楽しく踊っている場面を見かけて衝撃を受けたという。
そのことをきっかけに、彼はR&Bを専門に放送するラジオ番組を作ることを決心したのだ。





彼が新たにスタートさせた番組では、白人向けの流行歌には目もくれず、チャック・ベリーやリトル・リチャード、レイ・チャールズといった黒人ミュージシャンのレコードをヘビーローテーションで放送し、自らを“ムーンドッグ”と名乗り、流す曲のほとんど全てを「ロックンロール」と呼んで紹介した。
こうして彼は、黒人音楽を白人向けの番組で流した最初の白人DJとなったのだ。
その放送は深夜帯でありながら大きな反響を呼んだという。
この「ロックンロール」とは、もともと黒人の間で使用されていたスラングで、はじめはセックスを示唆するものだったが「楽しい時を過ごす」「パーティーをする」「ダンスを踊る」などの意味を持つようになり、ブルースやジャズの歌詞中に表れるようになったものである。
1950年代初めからはR&Bの歌詞にも使われるようになるが、いずれにせよそれは当時の(特に中産階級の)白人にとっては聞き馴染みのない表現だった。
フリードは黒人ミュージシャンによる楽曲を、白人の若者にとって新鮮でクールな響きを持つ「ロックンロール」という名前に呼びかえたことで広く紹介することに成功したのだ。
──時を同じくして、黒人音楽のレコードを扱うインディペンデントのレーベルがアメリカの各地に創設されてゆく。

アトランティック(ニューヨーク)
チェス(シカゴ)
キング(シンシナティ)
モダン(ロサンゼルス)
アラディン(ロサンゼルス)
スペシャリティ(ロサンゼルス)
サヴォイ(ニューアーク)

1950年代初頭までは、この7つのレーベルで製作されたレコードがR&Bチャートの2/3を占めていたという。
1960年代になるとジェームス・ブラウンが“ファンク”という新たなスタイルでチャートを駆け上る一方で、オーティス・レディングやサム&デイヴを代表とするスタックスレーベル、そしてマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーを代表とするモータウンレーベルも加わり、R&B黄金期の到来を迎える。
程なくして、この内2つのレコード会社が世界的な規模にまで成長することとなる。
一つはワンマン黒人社長、ベリー・ゴーディー・ジュニアが築き上げたモータウンレコードで、もう一つが白人経営陣が築き上げたアトランティックレコードだった。
実はこのアトランティックの創設者が、駐米トルコ大使の息子アーメット・アーティガン(トルコ人)だったということは、あまり知られていない。

──R&Bのルーツを辿るとブルースやゴスペル(黒人霊歌)、そしてジャズに行き着く。
その音楽性や演奏形態は、時代や各々のミュージシャンによって一つの枠に収まらないのもこのジャンルの特徴である。
R&Bが登場した50年代は、黒人音楽がより自由で大衆性の高いポップミュージックとして成熟しつつあった時期だった。
1960年代に入ると公民権法の成立をはじめとする黒人の意識向上を受け、ビルボード誌の黒人ポップチャートの名称が一度「ソウル」という呼び名に改められる。
1970年代末のディスコブームによって黒人音楽と白人音楽の垣根が曖昧になってしまい、再度黒人の作る音楽を区別するため「R&B」という名称が復活する。
そして1980年代以降は、再び黒人ポップミュージック全般を表す言葉として「R&B」という呼称が定着するようになってゆく。




【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki

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