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ブルース・スプリングスティーンが探し求めたトム・ジョードの亡霊

2019.11.21

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ブルース・スプリングスティーンが1995年に発表した「The Ghost of Tom Joad」(トム・ジョードの亡霊)。
トム・ジョードは、20世紀のアメリカを代表する作家、スタインベックの『怒りの葡萄』の主人公の名前である。

“俺もずっと考えていたんだ。豚のような暮らしをしている俺たちと、目の前に広がる豊かな休閑地のこと。いや、ひとりの男が百万エーカーの土地を所有していて、何十万という農民が飢えてるってことだよ。そして俺たちが一緒になって叫び声をあげたらどうなるのか、と思っているんだ”


トム・ジョードは収容キャンプのような農場の仮住処から逃げ出す前に、母親にそう語る。

スタインベックが描いたのは1930年代。大規模農業が始まり、家族で頑張ってきた農民たちが銀行家たちに土地を追いやられる時代の話だが、20世紀後半、西海岸の国境付近でも仕事を求めてアメリカへ移住しようとする人たちのキャンプができていた。
かつて、オクラホマの貧農が夢のカリフォルニアを目指したように、メキシコとアメリカの国境には多くの人たちが集まっていたのである。
スプリングスティーンはその情景を歌の冒頭で、こう表現している。

♪ 線路沿いを男は歩いていく
  どこかに行かなくては、帰る先はない
  ハイウェイ・パトロールのヘリがやってくる
  男は橋の下、キャンプファイアの近くで眠る
  避難所は角までのびている
  ようこそ、新世界秩序へ
  サウスウエストでは車に寝泊りする家族
  仕事も、家も、平和も、休息もない ♪


20世紀の後半だというのに、それはまさしくバブルが弾け、暗く沈んだ1930年のアメリカと見間違うような光景である。
「新世界秩序」は、ブッシュ親子がよく口にした言葉である。
耳障りのいいこの「秩序」は、貧富の差をただただ拡大していく。

♪ ハイウェイは今夜も煌いている
  自らの行く先について、冗談を言い合う者もない
  俺はキャンプファイアの光の中に座り
  トム・ジョードの亡霊を探している ♪


「俺」はブルース自身の視点だ。
ブルースはトム・ジョードの亡霊を探しながら、「難民」たちの姿を描いていく。そこにはトム・ジョードの身代わりになって死んでいった説教師、ジム・ケイシーを思わせるような男の姿があった。

♪ 彼は寝袋の中から祈りの書を取り出すと
  しけもくに火をつけ、一服しながら
  最後の者が最初になり
  最初の者が最後になる時がくるのを待っている ♪


「先の者が後になり」は、小説でトム・ジョードがキャンプから出ていこうとする時、母親が語る台詞の一部であるが、それはマタイの福音書の一節だ。
葡萄を摘みに雇われた労働者たち。朝から働いた者も、最後にやってきた者も、同じ賃金が支払われると聞いて、最初にやってきた者は不平を述べる。それだけではない、最後にやってきた者から賃金が支払われるというのである。

不条理な社会。「怒りの葡萄」というタイトルはおそらくこの説話から取られたものだ。
だが、トム・ジョードはそんな社会からの逃亡を企てる。
もう一度、原作から引用しよう。
彼が最後に母親に残していく台詞である。

“俺はあらゆる暗闇の中にいるのさ。俺はどこにでもいるんだよ。食べ物に困って飢えた人たちの喧嘩があったら、目を凝らしてみればいい。俺はそこにいる。警官が誰かを痛め付けてるなら、俺はそこにいる。みんなが怒って叫び声をあげている時、俺はそこにいる。。。”


ブルースは自らの想いを、トムの言葉に乗せて歌っていく。

♪ トムは言った。
  ママ、警官が男を殴っているところ
  生まれたばかりの赤ん坊がお腹を空かせて泣いているところ
  血と憎悪の空気の中、喧嘩が起こっているところ
  ママ、俺を探すなら
  俺はそういうところにいるんだよ ♪




(このコラムは2014年12月のTAP the PIC「トム・ジョード」を加筆、修正したものです)

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