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オッペンハイマーと湯川秀樹がすがったひとりの被爆僧侶

2018.01.25

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どうしたら可愛い子供を
オッペンハイマーの死の玩具から
守ることができるのか


 ロバート・オッペンハイマーは、第二次世界大戦当時、マンハッタン計画をリードし、原爆の父と呼ばれた物理学者である。
 オッペンハイマーは、スティングが移り住んだニューヨークで1904年に生まれている。使うことが許されないほどの兵器を作り、戦争を無意味なものにするという彼の夢が悪夢に変わった瞬間から、彼は罪悪感に苛まれていた。

「科学者は罪を知った」と彼は語ったが、彼がどれほど後悔しようとも、世界は新たに、エドワード・テラーという水爆の父を作ろうとしていた。
 彼は水爆反対運動に情熱を傾ける。だが、彼、及び彼の周辺がジョセフ・マッカーシーの赤狩りの影響で大きな打撃を受けることになった。
 彼の妻キティ、そして実弟のフランクは共産党員であった。そしてオッペンハイマー自身も学生時代、共産党系の集会に参加したことが暴露され、彼は公職追放の憂き目にあうことになった。
 オッペンハイマーは救いを求めていた。そしてある日、友人でもある湯川秀樹がひとりの僧侶に出会ったことを知る。その僧侶に心酔した湯川は、その僧侶が入ることになる墓の隣に、自分の墓を用意しているという。


私たちは
イデオロギーに関係なく
同じ生態系の中に
生きている


 日本人として初めてノーベル賞を受賞したことでも知られる理論物理学者の湯川秀樹もまた、原爆研究に参画していたことが、2017年の12月に公表された彼の日記で明らかになった。

 そしてまた、彼もオッペンハイマー同様、失意と後悔の日々を送っていた。そして京都大学の哲学科の人々との交流から、ひとりの僧侶と出会うことになる。山本空外である。

「まぁ、湯川先生ったら、シューベルトみたいなことをおっしゃって」
 湯川が山本空外の墓の隣に、自分の墓を用意したいという話を聞いた山本夫人は、そう言った。
 ベートーベンに憧れたシューベルトは、ベートーベンの棺を担いだ翌年、31歳の生涯を閉じ、ウイーンのヴェーリング墓地のベートーベンの墓の隣に埋葬されていた。
 山本夫人がそんな逸話を知っていたのも、山本空外がまだ、山本幹夫という名の哲学者だっヨーロッパ留学時代にその地を訪れていたからかも知れない。

 将来を嘱望された哲学者であった山本幹夫はその時、教鞭を取っていた広島の大学の地下にある図書館倉庫で、資料を整理していた。そして被爆。
 その瞬間から、山本幹夫は同僚の、生徒たちの遺体を探しては、焼き場へ運んだ。来る日も来る日も、同じ作業を黙々と続ける他に、すべきことはないようだった。そして愛する者たちの骨を拾い終えると、彼は髪を剃り、山本空外となったのである。

 ある日、湯川のもとにオッペンハイマーから手紙が届いた。山本空外に会いたい、という。
 湯川は、山本空外がどういう経緯で僧侶になったのか、オッペンハイマーに伝えた。
「それでもお会いになりますか?」
 オッペンハイマーは湯川秀樹とともに、山本空外の寺を訪れている。


我々は君たちを守るのだと
レーガン大統領は言った
だが私は、この意見に同意できない
私の言うことを信じてほしい
ロシア人が子供たちを
愛していることを願っている


 ロナルド・レーガンは、スティングが「ラシアンズ」を書いた時のアメリカ大統領である。大統領として三度の来日を果たしているレーガンはある時、日本の政府関係者にこんな注文をしたことが伝えられている。
「クウガイの書を手に入れることはできないか?」
 聞いた者は耳を疑った。弘法大師・空海の書など、そう簡単に手渡せるものではない。彼はそう考えた。それほど、山本空外は、知られざる僧侶であった。
平和への祈りは、いつも沈黙の中にある。

 そして今、スティングが1980年代に感じたような緊張を、アジアの片隅にあるこの国は感じている。


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