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大瀧詠一の「夢で逢えたら」が日本有数のスタンダード・ナンバーに至るまでの道のり

2023.12.17

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数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味では、「夢で逢えたら」が代表曲に挙げられる。

この歌が誕生したのは1974年の秋に、CMソングを担当した「花王ドレッサー」がきっかけとなった。女性シンガーのアン・ルイスがひとこと、「ドレッサーね」と語るCFが好評で続編が作られることが決まった。

そしてアン・ルイスが「♪ 髪にエーヨー」とCMで歌うことになり、彼女が所属する渡辺プロダクションからレコード用にも何か一曲、書いてほしいと依頼されたので、大瀧詠一はまもなく「夢で逢えたら」を書き下ろしたのだ。ところが事情があって、その曲は採用されずに宙に浮いてしまう。

アン・ルイス用に作られたデモ・テープを偶然に聞いたのが、吉田美奈子の担当ディレクターだった。彼がそれをいたく気に入って、「どうしてもアルバムに入れたい」と申し入れてきた。

1973年のはっぴいえんど解散コンサートにも出演していた吉田美奈子と旧知の間柄だった大瀧詠一は、60年代ポップス調の「わたし」という曲を提供したこともあり、その歌唱力を高く評価していたのだが、今ひとつ気持ち的には乗り切れない思いも感じていたという。

ちょうどその頃、日本の音楽シーンの最先端ではファンキーな16ビートが人気で、8ビートの60年代ポップスは時代遅れと見られていたことも気になったが、とりあえずレコーディングされることになった。

大瀧詠一はその頃のことを、このように述べている。

このファンキー・ブームの時代にこんな時代錯誤的な音作りが大々的にできたのは、実は山下達郎君の絶大な精神的及び音楽的支えによるところが大きい。彼だけがこのサウンドの支援者だった(後に、このカラオケに自分でギターをかぶせて、それを自分のラジオ放送のテーマに使用した)。さて、結果といえば、苦労の甲斐あってか、大瀧詠一作詞作曲による作品の最高作となった。


「夢で逢えたら」は、1976年3月に発売された吉田美奈子のアルバム『フラッパー』に収められるのだが、一部にはシングルカットを要望する声も上がるほど好評だった。しかし当時のレーベルが狙っていた路線ではなかったために、シングル盤が実現することはなかった。

したがって、どちらかと言えばマニアックな音楽ファン中心に知られたにとどまり、最終的に一般のリスナーの耳にまでは今ひとつ届かないままに終わった。

そこで、せっかくいい作品が出来たのにそのままにしておくのは勿体ないと、シリア・ポールにカバーさせることを考えついたのはプロデューサーの朝妻一郎だ。彼は大瀧詠一の良き理解者であり、ナイアガラ・レーベルのアドバイザーでもあった。

シリア・ポールはラジオのDJ3人組「モコ・ビーバー・オリーブ」の一員で、「オリーブ」としてニッポン放送を中心に活躍していた。

130225425798316327199モコ・ビーバー・オリーブ

モコ・ビーバー・オリーブのレコード・デビューは「わすれたいのに(I Love How You Love Me)」だが、それはパリス・シスターズが1961年に放ったヒット曲で、大瀧詠一が最も影響を受けたフィル・スペクターがプロデュースした作品のカバーだ。そしてシリア・ポールならば60年代ポップスとの相性が良いし、ラジオを通じて若者たちへの知名度も高かった。

大瀧詠一はこれを機に、真正面から取り組んだことがなかったガール・ポップに挑戦してみようと思い立ち、ナイアガラ・レーベル初のシンガーとしてシリア・ポールを招き入れることにした。
そして自分のオリジナル曲とアメリカン・ポップスのカヴァーを組み合わせて、1977年にアルバム『夢で逢えたら』を完成させて発売した。

当初から意図していた60年代ポップスの匂いがいっぱいの仕上がりとなったシリア・ポールの「夢で逢えたら」は、大瀧詠一が率いるナイアガラのメロディー・タイプの原型となっていく。やがてたくさんのカバー作品が誕生することで、日本のガール・ポップにおけるスタンダードとなっていくのだ。

ガール・ポップを意識した曲だったのだから当然だが、「夢で逢えたら」は1976年に発表されてからの20年間で、サーカス、岩崎宏美、ELLE、桑名晴子、北原佐和子、坂上香織、香坂みゆき、森丘祥子、香西かおり、桃井かおりなど、すべて女性シンガーに歌われてきた。ところがどういうわけか、ヒット曲は生まれてこなかった。

2003年1月5日にオンエアされた山下達郎のラジオ番組『Sunday Song Book』の新春放談で、ゲスト出演した大瀧詠一との間にこんな会話が交わされている。

山下「『夢で逢えたら』のカバーって全部把握してます? しかし、なんでこんなカバーが多いんでしょうか? 」
大瀧「一回も流行らなかったからなんじゃない? マーチン(鈴木雅之)が歌うまで」


二人の会話に出て来たように、1996年に「夢で逢えたら」をカバーしてヒットさせたのは、意外なことに鈴木雅之率いる男性ヴォーカル・グループのラッツ&スターだった。

大瀧詠一はこうした意外性について喜びを抑えながら、「夢」にひっかけてこう述べている。

この楽曲がこのような”落とし所”になるとは、全く夢にも思いませんでした。


夢で逢えたら ラッツ&スター

(注)大瀧詠一の発言の引用元はすべて、大瀧詠一著「All About Niagara」(白夜書房)からです。

<合わせてこちらもお読みください>

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