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ボ・ディドリーにインスパイアされて生まれたローリング・ストーンズの「19回目の神経衰弱」

2019.02.22

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ザ・ローリング・ストーンズのシングル「19回目の神経衰弱」は、53年前の1966年2月5日にUKで、2月12日にはUSでも発売された。
その新しいリリック・ビデオがオフィシャルサイトで、2019年2月5日から公開されている。
今、もう一度「19回目の神経衰弱」がやってくる、ということなのだろうか。

やってくる、やってくる、やってくる、やってくる
あんたの19回目の神経衰弱がやってくる、



世界的な大ヒットを記録した前作「サティスファクション」に続いて、ソングライターはミック・ジャガーとキース・リチャーズのコンビである。
この曲が全米でも全英でも2位のヒットになった後、ブライアン・ジョーンズによるシタールの演奏が独創的だった「黒くぬれ!」が5月に発売されている。
それが全米と全英でともに1位になったことから、ローリング・ストーンズはロックバンドとして不動の地位を築いていくことになったのだ。



ブライアン・ジョーンズが「19回目の神経衰弱」で弾いているギターのリフは、敬愛するボ・ディドリーの「ディドリー・ダディー」からのいただきだった。
だが、キースのカッティングによるギターとの組み合わせでスピード感がアップし、バンドの勢いが押し寄せてくるようなパワーが加わっていた。

そのあたりにローリング・ストーンズが持っている、バンドならではの摩訶不思議な魅力があったといえる。
地味なベーシストとして知られるビル・ワイマンが当時、このように自分のことを語っていた。

私はミュージシャンではない。バンドで演奏してるだけだ。平均よりもちょっと上手く演奏しているだけだ。もっと上手く演奏したいが、なかなか上手くなれないものだ。


そんなビルもこの曲の最後では、印象に残る派手なパフォーマンスを見せている。


ローリング・ストーンズの世界的な成功は、イギリスのバンドに大きな影響を与えていった。
「19回目の神経衰弱」にインスパイアされたザ・フーのピート・タウンゼントは、すぐに「SUBSTITUTE(恋はピンチヒッター)」をつくって3月にシングル発売した。

ピート・タウンゼントの自伝によれば、「”SUBSTITUTE” はもともと、ローリング・ストーンズの、<19回目の神経衰弱>のスタイルを借りながら、スモーキー・ロビンソンへのオマージュを捧げるつもりで書いた曲」だという。

このセカンド・シングルが全英5位のヒットになり、さらに10月のサード・シングル「マイ・ジェネレーション」のヒットによって、ザ・フーはイギリスを代表するバンドになっていく。



「19回目の神経衰弱」は1965年12月、アルバム全曲がオリジナルとなったアルバム『アフターマス』のセッションで、アメリカでレコーディングが行われた。

しかしアルバムには収録されず、同じ1966年に出たコンピレーション・アルバム『ビッグ・ヒッツ (ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)』に、多くのヒット曲とともに収められている。

アメリカでは3月、イギリスでは11月に発売になったこのコンピは、2年間も売れ続けるロングセラーになった。

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