「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

街の歌

大阪で生まれた女〜30分を超える歌物語をヒット曲に導いたのはロック界の大物だった!

1979年、当時25歳だったBOROはシングル「大阪で生まれた女」で歌手デビューを果たす。 きっと50代から60代の大阪人にとっては、今でも思い入れの強い楽曲の…

Extra便

内田裕也がカヴァーしたレイ・チャールズの「ワット・アイ・セイ」~精神はロックそのものだが意外に穏やかな歌声

これは今年の3月17日に亡くなった内田裕也氏のツイッターに書いてあった自己紹介である。(2019年11月19日現在) My name is Yuya Uchid…

Extra便

内田裕也語録その2~「世界中の良いものを取って、テメエらにあわせなくちゃ…。でもそこから本物が生まれる時がある」

99人の著名人について内田裕也が語ったコメントをいくつか、1976年に出た最初の単行本「俺はロッキンローラー」から紹介したい。 ベンチャーズ ビジネスと音楽は別…

Extra便

内田裕也語録その3~「男としていちばん輝いてる10年間は人のために尽くしました」

内田裕也が1976年に出した初の単行本「俺はロッキンローラー」には、子どもの頃に思っていた「カッコイイニイチャン」になりたいという、素朴な憧れが語られている。 …

TAP the DAY

「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」~1974年の郡山ワンステップフェスティバル

1974年の夏、福島県郡山市で11日間に渡って開催されたワンステップフェスティバルは、「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」、そんなテーマを掲げた地元の若…

Extra便

音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争

今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日本語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべき…

TAP the SONG

西城秀樹がカヴァーした作品から知る洋楽のスタンダード曲②~日本語によるロックの難しさを乗り越えたセンス

西洋文化の音楽や歌が日本に入ってきたのは明治維新の文明開化からで、軍歌と唱歌による音楽教育、賛美歌、童謡となって普及していった。 大正から昭和にかけて流行歌が生…

Extra便

2019年に逝ってしまったレジェンド~内田裕也語録その1「ロックという生き方」

1976年に出版した著書「俺はロッキンローラー」(高平哲郎構成 講談社) の中で、当時の内田裕也が語っていた99 人の著名人についてのコメントが残っている。 当…

TAP the DAY

沢田研二の「君をのせて」から生まれた伝説のドラマ『哀しきチェイサー』で実現した内田裕也との共演

沢田研二の「君をのせて」という歌から、テレビドラマ『哀しきチェイサー』が生まれたのは1978年の晩秋のことだ。 エディット・ピアフの「愛の讃歌」の日本語訳などで…

Extra便

追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー

RCサクセションは1979年の夏に、3年ぶりのシングル「STEP!」を発売した。 しかし、プロモーションに力を入れた割に、レコードはまったく売れずに終わってしま…

Extra便

ロサンゼルスで生活しながら音楽漬けになってアルバムを作ることの重圧~春日博文の静かなる復活②

1975年は日本のロックバンドの全体が活気づいて、時代の風が吹き始めているといった雰囲気があった。 福島県郡山市で74年の夏に開催された手作りのイベント「ワン・…

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