「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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ストーンズが共同で暮らした汚い部屋から生まれたのは音楽への熱っぽい愛による合金だった

電気の配線はむき出しになっていた。壁紙は剥がれていたし、家具も壊れていた……。 汚れた皿が積み重なり、あちらこちらに空きビンが並び、音楽雑誌やレコードが床に無造…

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孤独な少年のおまじない「だいせんじがけだらなよさ」~寺山修司が世に出した「ふたりのマキ」③

1967年の夏に演劇実験室・天井桟敷にやって来た17歳の少女は、ゴーゴーダンス大会で優勝したというだけあって、踊る姿は劇団員のなかでひときは目立つものだった。 …

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追悼・大森昭男~大瀧詠一が自分のポップスで最初の完成品と言った「サイダー’74」が陽の目をみるまでの1年間

大瀧詠一が自ら「大瀧ポップスの最初の完成品です」と自信を持って宣言する作品が誕生したのは、オン・アソシエイツのプロデューサー、大森昭男と知り合ってからちょうど1…

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知られざる日本の名曲シリーズ~画期的な作曲コンテストから誕生した「片想い」

最初に「片想い」をオリジナル曲として唄ったのは、23歳の槇みちるだった。 大阪出身の彼女は渡辺プロにスカウトされて歌手になり、1965年にビクターから洋楽カバー…

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浅川マキと寺山修司~美空ひばりが大好きだったことと、詩人であることが共通していた二人

寺山修司が知人の音楽プロデューサーだった寺本幸司に誘われて、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に出かけたのは、1968年の秋口のことである。 その頃の浅川マキ…

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中島みゆきの「糸」をスタンダードにしたのは、逢うべき歌とめぐり逢えて「仕合わせ」を感じた人たちだった

その歌は1992年に発売された中島みゆきの通算20作目にあたるアルバム、『EAST ASIA』にさりげなく収められていた。 発表からすでに24年、干支でいえばふ…

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ホウキがギターに早変わり~坂本九と忌野清志郎をつないだエルヴィス・プレスリーの歌やジミ・ヘンドリックスのギター 

教室でホウキがギターに早変わりする、そんなイカした行為を始めた少年たちや、それを受け継いだ少年の話を紹介したい。 アメリカでロックンロールが生まれた時から、ホウ…

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ハイロウズの「十四才」に込められているリアリティへの希求

ロックンロールという音楽には古くからの権威や慣習に反発するというイメージと、心の内なる叫びを言葉にしていくセンスのかっこよさ、その両方が含まれている。 ハイロウ…

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戦後の焼け跡に生まれたメッセージ・ソング「星の流れに」を継承した美輪明宏と「ボタ山の星」

1947年といえば終戦から2年後が過ぎたものの、GHQの統治下にあって復興にはまだほど遠かった。 そんな時期に東京日日新聞の投書欄に、満州で両親を失って命からが…

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吉田拓郎によって始まったニューミュージックの時代を象徴するシンプルな名曲「どうしてこんなに悲しいんだろう」

ニューミュージックと呼ばれる音楽が注目を集め始めたのは、1966年に日本武道館で行われたビートルズの来日公演から、数年ほどが経過した頃からだった。 音楽関係のメ…

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2019年8月6日に「夏休み」という曲は反戦歌などでは 「断じて!ない!」と明言した吉田拓郎

1960年代の半ばから激しく吹き荒れた学生運動によって、日本だけでなく世界の各国で高等教育のあり方が変容していった。 日本では1970年の段階で、高校進学率がす…

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これが21世紀の歌謡曲~サカナクションの「新宝島」から伝わってくる微妙なる衝撃

1954年の夏、春日八郎の「お富さん」が爆発的にヒットした時に、兵庫県の淡路島で受験勉強をしていた阿久悠は、こんなふうに歌が届いたことに驚いたと述べている。 こ…

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