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グリーン・デイと出会って一瞬にしてふっ飛んだ峯田和伸の憂鬱とけだるさ

2019.06.25

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1994年。峯田和伸は自転車で片道30分のところにある共学の高校に通う、見た目は普通の高校二年生だった。
だが彼の部屋の壁には音楽雑誌「ミュージックライフ」や「ロッキング」などから切り取ったニルヴァーナのカート・コバーンの写真が、無造作にのりでベタベタ貼ってあった。

そんな峯田が自宅に届いた地元紙の山形新聞で「人気ロック歌手が死亡。自殺の可能性あり」という記事を目にしたのは4月のことだ。

“人気ロック歌手”とはカート・コバーンのことだった。4月8日の朝に遺体が発見され、亡くなったのは4月5日頃と報じられていた。
峯田が受けたショックは当然のことながら大きかった。

あんなに毎日CDを聴いて、歌詞を自分なりの解釈で和訳してノートにまで書いて、あんなに憧れてた人が、いとも簡単にこの世から姿を消してしまった。


峯田は学校に行っても一回も教科書を開かずに、ニルヴァーナの『NEVERMIND』と『IN UTERO』と『INCESTICIDE』を、ずっとヘッドフォンで繰り返し聴いていた。

それからすぐに、一緒に暮らしていた祖母がまだ六十代の若さで亡くなった。
夫婦で電気店を切り盛りしていた峯田の実家では、両親にかわって祖父母が、子供たちの面倒を見てくれていた。 

長い闘病生活だった。五年前から喉に穴を開けてそこからホースで酸素を送っていたから、おばあちゃんの声なんてしばらく聞いてなかった。
家族全員が集まり、おばあちゃんが寝ているベッドを囲んだ。
「ピッ ピッ ピッ」
心拍数を計る器械がいよいよ「0」になって、最後に音が「ピーーーーー」に変わった。
その時。僕はその時、ずっと寝ていたおばあちゃんがにっこり笑って「ありがとう」と静かに声に出したのを、見た。
お母さんも見たらしい。


憧れの人だったカートと、大好きだった祖母の死が続き、鬱屈した日々を送っていたその年の夏。
お盆の8月14日に家で衛生放送を見ていた峯田は、アメリカから生中継されていた「ウッドストック94」に出てきたバンドのヴォーカルに目を奪われる。
カリフォルニア州バークレー出身のパンク・ロックバンド、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングである。

馬鹿みたいな顔して白目を剥き、髪の毛をブルーに染め、アメリカ人にしては異常に背の低い彼はひざの位置までギターを下げて思いっきりギターを掻き鳴らしてる。なのに曲は思いっきりポップ。
あげくの果てに彼等は何十万人もいる目の前のお客さんに「FUCK YOU」を連発し、馬鹿にしてゲラゲラ笑ってる。
ステージにどんどん泥を投げられ、それでも平気で演奏する3人。そんな地獄絵図の中、ボーカルはケツを出した。




メンバーも観客も警備員も泥だらけになって混乱する中で、まだ無名に近かったそのバンドのライヴはあっけなく終了した。
そのとき峯田はすぐに自転車を走らせて、駅ビルのCD屋に駆け込みんで彼等のCDを2枚手に入れた。

これが僕とグリーン・デイとの出会いだ。今でも忘れない。彼等は僕の憂鬱を、あの時代のけだるさを一瞬にしてふっ飛ばしてくれた。


その頃、まさか自分がバンドやることなど思っていなかった峯田だが、3年後にはGOING STEADY(ゴーイング・ステディ)でデビューし、やがて銀杏BOYZのヴォーカルとして活躍することになる。


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