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尾崎豊I Love You〜平成3年にリバイバルヒットした“歌い継がれる名曲”の誕生秘話

2018.10.14

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「今にして思うと…彼は歌詞になるべく英語を使わないと言っていたわりには、やっぱり急場しのぎでつけたようなタイトルでしたね。でも急場しのぎって凄くいいものができるケースもあるんです。つまり、結局そこに実力が出ちゃうんですよ。前々から用意したものっていうのは、その人の音楽的なイヤらしい癖とかも出ちゃいますからね。」
(音楽プロデューサー:須藤晃)




1992年、26歳という若さで夭折した尾崎豊。
この名曲「I Love You」が生まれたのは1983年、まだ彼が17歳の時だった。
それは、彼のデビューアルバム『十七歳の地図』に収録されていた。

そもそもこの曲は、アルバムのレコーディングがスタートした時点では収録曲にリストアップされていなかったという。
レコーディングが始まったのは1983年の7月だった。
その時代、通常アルバムには10曲前後の楽曲を収録するのが主流だった。
レコーディングが佳境に入った9月の時点で、まだ9曲しか完成しておらず…プロデューサーの須藤晃は尾崎にある提案をしたという。

「曲が足りないからバラードを書いてきて。」

その言葉に対して尾崎は即答した。

「あ、いい曲あります!アイ・ラブ・ユ〜♪って感じの曲なんですけど。」

尾崎は、その翌日か翌々日には楽曲を完成させて持ってきた。
その時のやり取りを、須藤はこう振り返っている。

「あれは彼がその場で即興で口ずさんだ可能性が高い気がします。もともとあった曲なら、それ以前にテープで渡しているはずだし。でも、その場で急に作ったものだとしても、曲がよかったのは紛れもない事実ですし、それが彼の実力の高さを表していたと思うんです。」

こうして完成した「I Love You」は、TVドラマ『北の国から’87 初恋』(1987年) で使用され、多くの人の知るところとなる。
尾崎がこの世を去る一年前の1991年、JR東海のCMに起用されたのをきっかけにシングルカットされ、大ヒットを記録する。
その後も、宇多田ヒカルや絢香、そして息子の尾崎裕哉まで…性別や世代を超えて多くのアーティストがカヴァーし“歌い継がれる名曲”として愛されている。


彼はデビューした後も昔の仲間達とカラオケに行ったりしたが、この「I Love You」だけは絶対に歌わせなかったという。
それほどこの曲に対して特別な思いを持っていたのだろう。
彼がこの曲を作り上げるまでの心の背景には何があったのだろう?
彼がまだ2歳のとき、母親に買ってもらった『難破船の少年』という絵本があった。
それはこんなストーリーだった。

ある船の上で少年と少女が出会う。
少女は貧しさから売られてしまい、久しぶりに親に会いに行く旅。
少年は両親を亡くし、仕事を探しに行く旅だった。
突然嵐が訪れ、船を飲み込んだ。
激しく揺れる甲板で、少年は頭に怪我をする。
少女は自分の服を破り少年の頭に巻いてあげる。
やがて船が沈没しようとする時、一隻の救命ボートから声がかかった。
『あと一人なら乗れる』と。
少年が少女を助けてもらおうと、少女を海へ突き落とす。
そして、少女は無事救出される。
少年は叫ぶ『君には親がいて、君のことを待っているんだ!幸せに!』
少女は、少年が沈没していく船の上で手を振っているのを見つめていた…。


2歳の頃に読んだこの物語が、彼の感性の芽生えとなった。
尾崎は著書の中で「それは“愛と犠牲”を自分の心に刻んだとても思い入れのある本だ」と書き残している。
また尾崎はある日、須藤晃とこんな話をしたという。

「誰かを愛するとハッピーなはずなのに、何故、切なくなるのだろう?」

「人の命には限りがあるから、いつかは別れが来る。それが人の遺伝子の中に入っていて、人を好きになった瞬間、無意識のうちにそれが分かってしまう、だから切ないのではないか…。」


幼くして心に愛を刻み込んだ尾崎豊。
そんな彼が紡いだ「I Love You」には、十代の恋愛の姿、そして愛することの切なさや哀しみが、叙景と叙情を交えて実に見事に描かれている。
それはまさに17歳という年齢と彼の純粋さが生み出した名曲だった…

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