「故郷の空(こきょうのそら)」は、1888年(明治21年)刊行の『明治唱歌』で発表されたが、原曲はスコットランドで歌われていた伝承歌だ。
スコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズによって「Comin’ Thro’ the Rye(ライ麦畑で出会うとき)」という英語詞が付けられたのは、1790年代にまで遡る。
それから約100年後に日本語の詞を書いた大和田建樹は、紀行文や韻文、和歌、新体詩、唱歌の分野で業績を上げた国文学者で、「鉄道唱歌」でもよく知られている。
そのころならどこにも見られた田舎の情景を、わかりやすく平易な言葉で描いた「故郷の空」には、「詩は誰にでも読まれ、而して愛されるものでなくてはならない」という、大和田の考えが反映されたものだった。
明治・大正・昭和を通して歌い継がれた「故郷の空」は、格調高い日本の名曲として歌い継がれていく。
1970年にヒットしたドリフターズの「誰かさんと誰かさん」は、作詞家のなかにし礼が各メンバーの個性に合わせて詞を書いたものだが、元になるヴァージョンは戦前に発表されている。
詩人の大木惇夫と声楽家の伊藤武雄が組んで共訳し、1930年代に発表したのが「麦畑(誰かが誰かと)」だ。
ロバート・バーンズが「Comin’ Thro’ the Rye」に付けた英語詞は、日本語に直訳するとこんな内容だった。
ライ麦畑で女が男と出会ったら
抱きしめられても叫んだりはしません
ライ麦畑で女が男と出会ったら
どんなことがおこるでしょうか
ライ麦畑で女が男と出会ったら
二人だけのお楽しみ
身の丈ほどの高さに成長するライ麦畑の茂みに入ったら、中で何をしているのか、外からはまったく見えなくなる。
そんなライ麦畑の中で年頃の男と女が出逢ったらどうなるか、「Comin’ Thro’ the Rye」は男女の性の営みを謳う、大らかな人間賛歌だった。
唱歌となって普及した「故郷の空」があまりに原曲の内容と乖離していたので、声楽家で東京藝術大学の教授だった伊藤武雄は、大木惇夫の力を借りてオリジナルに忠実な歌詞を知らしめようとした。
しかしながら日本がまさに戦争に突入しようという時期であり、男女の性の営みを謳うなどはもってのほかとされてしまう。
戦争が終わって再び自由に歌が唄える時代を迎えてから4半世紀が経ち、スコットランドの原曲にあった人間賛歌にあらためて光を当てたのが、人気絶頂のドリフターズだったのである。
なかにし礼の「チュッチュッチュッチュッしている いいじゃないか」という、コミカルで口語調の歌詞、カントリー・タッチで軽快な川口真のアレンジ、そしてドリフターズの面々の屈託ない明るさと親しみやすさによって、「Comin’ Thro’ the Rye」が本来持っていた人間賛歌に、日本語で新たなる生命が吹き込まれたのだった。
こうして日本では同じ原曲からまったく印象が異なるふたつの歌が生まれて、今ではともに歌い継がれている。
<ロバート・バーンズが書いた最も有名な歌、「オールド・ラング・サイン」のコラムはこちらです。
・スコットランドからやってきた1本の麦が、中島みゆきの「麦の唄」となって生まれる高揚感>