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2011年7月にオリジナル盤が出た二階堂和美のアルバム『にじみ』は、昨年の11月に行われた「TAP the POPが選んだ2010年代のベスト・アルバム50」にも選ばれていた。
命を燃やして人生の悲喜こもごもを歌い上げていく。21世紀の美空ひばりとなり得るのは彼女をおいて他にいない。(宮内健)
その『にじみ』がさらに発展したのが12inch2枚組のアナログ盤で、A面からD面までの4面に18曲が収められて、8月5日にリリースされた。
全17曲収録だったオリジナル盤との違いは、新曲「にじみ」がD面のラストに追加されたことだ。
広島県大竹市の実家で僧侶としても活動する二階堂和美にとって、『にじみ』は大きな契機となったアルバムである。
本人が「この人!」と決めたミュージシャン一人ひとりに申し入れて、バンドのメンバーになってもらってレコーディングが行われた。
彼らの演奏力やセンス、人柄のおかげもあって思い通りの作品が完成したという。
ところが、かつてないほど希望に燃えていたレコーディングが終わった翌日、東日本大震災が起こったのだった。
その時の気持ちを二階堂和美は、ライナーノーツにこう書いた。
一寸先はどうなるかわからないこの世のはかなさ、あやうさ、いとおしさを念頭に綴った曲たち。
このたびの震災が残していったすさまじい現実にたちむかうには、音楽はちょっとずいぶん、頼りない。
ただ、この『にじみ』の曲らが、大切なことを思って泣いたり笑ったりするとき、そっと寄り添える歌であれたならと、これを出させてもらいます。
ありがとう!
全国ツアー「にじみの旅」は2011年の秋になってから行われた。
住む場所も仕事も様々なメンバーだったので、全員がステージに揃ったのは23カ所のうち5公演だけだった。
この面々でなければできなかったアルバムであり、ツアーだった。
なにより、各所で待ち受けてくれていた方の顔、声。
ステージに出るなりあまりの有り難さに涙ぐんでしまう、全公演そんなだった。
毎日、今日が最後かもという覚悟で歌い踊った。
そして「にじみの旅」が終わる時、ひとつの歌が生まれた。
それが「にじみ」、2011年3月11日以降、最初に作った曲だった。
『にじみ』を聞いて気に入った小泉今日子からオファーがあって、アルバム『Koizumi Chansonnier』のために、「ごめんね」と「わたしのゆく道」の2曲を提供したのは2012年のことだ。
作詞・作曲とプロデュースを二階堂和美が担当し、演奏も「にじみバンド」によって行われた。
2013年には『にじみ』を愛聴していたスタジオ・ジブリの高畑勲監督の希望により、映画『かぐや姫の物語』の主題歌「いのちの記憶」を書き下ろして歌ったことから、大きな展開が訪れることになった。
そんな流れの中で、「にじみの旅」のファイナルとなった渋谷CLUB QUATTRO公演以来、しばらく披露される機会がなくなっていたのが「にじみ」だった。
だが、2015年になって日の目を見るチャンスがやってきた。
音源化を望む声に応えて「にじみバンド」のメンバーが集まり、アナログLPに収録という形でレコーディングが実現したのだ。
1枚のアルバムが完成に至るまでには多くのエピソードや物語があるが、そこから始まったツアーで生まれた歌が、新曲として追加収録されたアナログ盤が出るというのもは稀なことだ。
これもまた『にじみ』がいつまでも色褪せず、成長し続けていく作品であることの証なのだろう。
しかもアルバム発売の前日、二階堂和美NHK総合の音楽番組『いのちのうた』に地元の広島から出演して、かつて美空ひばりが反戦と平和へのメッセージを込めて広島平和音楽祭で披露した「一本の鉛筆」をカヴァーして評判になった。
そして彼女自身もまたRCC中国放送の依頼で、『被ばく70年プロジェクト「未来へ」』のテーマソングを書き下ろして発表している。
恨みや武力では、争いは解決しません。
世界の平和は、過去から現在に渡る生命すべての願いです。
今、生きている。このことの素晴らしさを受けとめ、私たちが、これからの未来を作ってゆく。
そう自分自身にも言い聞かせるつもりで作った曲です。
広島の音楽家とともに広島で録音をしました。
70年前に原爆が落とされた広島で生きていた人々と、今を生きる自分たちへのメッセージを伝える1曲、それが「伝える花」である。
「にじみ」も「いのちの記憶」も「伝える花」も、「にじみの旅」から開かれた道に咲いた花のようだ。
・美空ひばりが反戦と平和へのメッセージを込めて披露した「一本の鉛筆」のコラムはこちらです。