1987年3月のはじめ、作詞家の星野哲郎は常磐線の特急「ひたち3号」に乗って、福島県いわき市にある塩屋岬へ向かった。
長期入院を余儀なくされていたひばりが退院して、病からの復帰第一作となる新作をコロムビア・レコードから頼まれたからだ。
前の年に病に倒れて危機にあった美空ひばりの復帰作をつくるに当たって、作詞を星野に、作曲を船村徹に依頼したのは、コロムビアで長くディレクターを担当していた森啓である。
星野が森から言われたのは、福島県の塩屋埼あたりを見に行ってくれませんか、ということだった。
「どういう詞を僕らが欲しがっているのかも含めて、いろいろ感じてもらえると思うんですが‥‥‥」
森がそのときに心の奥で思っていたのは、「ひばりさんは、ファンにとってもそうだが、歌手たちにとっても目標、つまり”燈台”なんだ」ということだった。だからそんな思いを、そのまま歌にしてほしかったのである。
だが朝一番の汽車に乗ってやってきた塩屋岬の周囲は、太平洋に臨む燈台がひとつあるだけで、人影のない海岸線は荒涼としていた。
昼前に現地に着いた星野は、ぱっとしない景色のなかで、どうすれば人間ドラマを描けるのかを考えながら、あてどなく浜辺を歩いた。
ところが夕暮れ時になると、遠くからは小さく見える燈台が大きくなってきた。
「ひょいと燈台を振りかえったら、夕陽の中に白く、すっと立っていてねえ。何だかそれが、ひばりさんの姿そのものに思えて‥‥‥」
誰もいない大海原に向かって命の光を放つ燈台が、次々に家族を失っていく哀しみの中で、孤独感に包まれていた美空ひばりに重なってきたのだ。
美空ひばりの実母でプロデューサーだった喜美枝は、1981年に転移性脳腫瘍によって68歳で逝去した。
1982年には「三人娘」以来の良きライバルで、親友だった江利チエミが45歳で急死してしまった。
さらには2人の弟たち、かとう哲也(1983年)と香山武彦(1986年)も、共に42歳の若さで亡くなってしまったのである。
ひばりプロダクションの社長をしていたかとう哲也は、「人生一路」などの作曲家でもあり、プロデューサーとして陣頭指揮を執っていたので痛手は大きかった。
そんな状態に置かれていた美空ひばりが、公演先の福岡市で緊急入院したのは1987年4月22日のことだ。入院当時の病名は「肝硬変」であったが、マスコミには重度の慢性肝炎および両側特発性大腿骨頭壊死症と発表した。
そのまま約3か月半にわたって療養に専念していくなかで、親交が深かった昭和の大スターの一人、鶴田浩二が6月16日に享年62で他界した。7月17日には良き友だった石原裕次郎もまた52歳で亡くなってしまった。
精神面でのダメージもあって回復を危ぶまれた美空ひばりは、入院から3か月半後の8月3日になんとか退院して東京の自宅に戻った。そこで闘病に専念しながら、復帰の日を待つことにした。
その間に再起をかける新曲の「みだれ髪」が完成し、レコーディングは10月9日に行われることになった。しかし、親しくしていたスポーツニッポン小西良太郎が10月初めに自宅を訪れてみると、美空ひばりは前日に初めて立つことが出来たという状態だった。
「きょう初めて10分くらい立ってみた。少しふらついたけど、もう大丈夫」
と、化粧のない顔で笑った。
どう考えてみても、歌える体調ではあるまい。
それなのに何を急ぐのか? いくらいい作品があがったとしても‥‥‥。
しかしレコーディングの当日、美空ひばりが希望して行われたオーケストラとの一発録りによる同時録音は、完璧なものだった。第一声は「ああよかった。ちゃんと声が出るわ!」だった。
美空ひばりはオーケストラとテストで2回、本番でも2回、フルコーラスを一気に歌った。いつもよりも念入りの同時録音だったが、それですべてが終了したのである。
立ち会っていた小西はその気迫と集中力にあらためて驚かされた。
一度歌い終わるごとに、ひばりは椅子に腰をおろして、テープの再生を聴き直した。近寄りがたいきびしい表情で、スピーカーから流れる自分の声をチェックする。イメージした歌の完成図と突き合わせるのか? 次の歌唱へ、緊張感と集中力を昴めるのか? 歌謡界の女王の矜持へ本能にも似た間合いを詰める気配‥‥‥。
美空ひばりは、ここから復帰を待っていたファンだけでなく、もっと広い音楽ファンに現在の自分をアピールすることを考えて、それを実行に移していく。
(注)本コラムは2016年8月26日に公開されました。
参考文献/引用
森啓『美空ひばり 燃えつきるまで』(草思社)
小西良太郎『美空ひばり 涙の河を越えて』(光文社)
小西良太郎『海鳴りの詩 星野哲郎歌書き一代』(ホーム社)
星野哲郎『歌、いとしきものよ』(岩波書店)
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